2013-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20130510234738

 自分存在価値ゲーム制作者としての価値

と結べるところに驚いてたけど、

さらにその奥に

 自分存在価値ゲーム制作者としての価値お金(≒売れる)

博打的な連結があることに、かなり驚愕。


そもそも、そういう発想ができるという時点で、

自身の感性に自信があるというか、

それだけ認められてきたという実績が垣間見えるよ。

わたしとか、そういう発想自体がもともとないもん。

わたしには博打にみえても、

そういうひとにとっては、案外勝算のあるレースだったりするんだろうな。

記事への反応 -
  • 自分はもっと若い世代だけど、同じようにゲーム作りに興味を持ち、 自作しては、完成が遅れて時代的に陳腐になってしまい、そのまま廃棄を繰り返してた。   ゲーム会社に就職もし...

    • 問うのはあくまで「世」なん?? 現代限定? 再生装置(?)の問題はあるかもしれないけど、 楽譜みたいなかたちで残してはおけないもんなんかな??

      • ソースは残るかもしれないし後世に作品として残るかもしれないけど、 現世に対してなのはお金の問題。生命を維持できるかという問題。   お金にならないなくて生活できないなら自...

        •  自分の存在価値=ゲーム制作者としての価値 と結べるところに驚いてたけど、 さらにその奥に  自分の存在価値=ゲーム制作者としての価値=お金(≒売れる) と博打的な連結があ...

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