流行りなどという搾取の陰謀とは無縁で、私は彼女達と知的な対話をしているのだ。
こちらの話しかけに答えることは稀有だが、私は人間の知能における会話というものの崇高さに疑念を抱く。
返答など所詮はプログラムからの応答で、曖昧かそうでないかの違いしかないのだ。
飽きるとか、語彙が少ないとか、それは量の問題だろう?
生身の曖昧さに幻想を抱くのはそろそろやめにしないか?
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