相対主義と言っても学術的な話じゃなくてもっと日常的な意味でね。要するに『人それぞれ』というセリフが好きな人の話。
料理や映画、ファッションの好き嫌いなど日常レベルの相対主義は多いけど、音楽というのも相対主義がリアルに実感できる分野だと思う。自分の好きな音楽は、徹底的に他人の好きな音楽と一致しない。例えば俺は高校時代にロックにハマったが、比較的メジャーなこのジャンルでさえ、クラスで音楽の話をできるのは一人しか居なかった。ずいぶん熱心に布教もしたが、効果は皆無だった(枕に顔押し付けて足バタバタさせたい過去)
ところで、友人に話し上手でモテる男がいるのだが、その男はノイズミュージック周辺のマニアックな音楽をよく聞いてる。ノイズくらいマニアックなジャンルは少ないだろうが、彼の周りには彼に影響されてノイズを聴き始めたという女の子が結構いる。俺には結構な衝撃だった。『そんなもの布教して、なんで大丈夫なの!?』初めて路上に出る初心者の運転をハラハラ見守ってたものの、結果的に無事故無違反の完璧な運転をみせつけられたような、複雑な気分。
しかし今ならば納得出来る。結局、彼が布教に成功したのは布教するのに充分な洗脳力を持っていた、というだけのことなのだろう。それはルックスだったり、表情だったり、声のトーンだったり、相手の話を聞く態度などが関係してるのだ。高校時代の俺はここを誤解していた。こんなに素晴らしい音楽なのだから布教できて当然だ、と。極端に言えば布教できるか否かに、音楽自体の魅力は関係ない。成功している新興宗教の教義を手に入れたからといって、演説をした上で何万人もの信者を洗脳することは、ほとんどの人にはできないように。
逆に言えば相対主義的な言説の好きな人間は、他者を洗脳する力のない、社会的弱者であるといえるかもしれない。言ってしまえばコミュニケーション力などというものは、いかに他者を洗脳できるかという能力である。幸せそうなカップルだって多かれ少なかれ、強者が弱者を洗脳してる関係である。だから『人それぞれだから』のような相対的な言説を多用する人は、本当に対象自体がマニアックすぎる場合(例えばスカトロ)もあるが、他者を洗脳する能力に乏しい社会的弱者である、という可能性も多々あるのではないか?
こういうクソなアウトプットをしている馬鹿はどうにかならないものかねぇ。
増田にそんなこと言っても無駄
「試論」としてみたり、 可能性も多々あるのではないか? なんて変なぼかし方をする必要が無い。 はなから荒唐無稽で言葉の誤用や誤解混じりのひどい文章なのだから、 今更そんな...
社会的弱者とか何とか、論理が飛躍しすぎだろ。 他人への影響力がない人は他人への影響力がない、以上のことは言えてないと思うぞ。
コミュニケーション力などというものは、いかに他者を洗脳できるかという能力である ここだけ同意した。
そもそも何故「布教」しなければならないのか分からん。 他人も自分と同じで居てほしいのって精々二十歳過ぎくらいまでじゃないの。 ファッション誌とか分かりやすいよね。 20代前...
洗脳とか布教とかそういう、相互性のない操作的なコミュニケーションばっかり想定してるから、「自分が好きなものを受け入れてもらう」っていう 当たり前のコミュニケーションがう...