これはネットの力が大きいと思われる。
代表的なのが
”「ドラエもん」でしずかちゃんのシャワーシーン”
過剰な表現規制に対する反応だ。
当初こそこれは分かりやすい、ショッキングな例だっただろう。
だが、都側はこれに対して冷静に「青少年の環境の整備」を主張してきた。
常識的な感覚ならば、条例の目的がこうした過剰な例を目的とする物ではない事は
あまりに明らかだ。
本来は、もっとグレーゾーンの作品を例として出す検証作業に移行すべきだったのだが、そうした議論は積極的に行われなかった。
(”性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発”に対し
作品の性質上、ある程度のリアリティを持って描写、表現する事が必要な作品とそうではない作品)
また、このドラエもんの例を今だに取り上げる輩は後を絶たず、
当初こそショッキングだった例も都側の対応姿勢を充分に聞く期間を経て
「下らない極論をいつまでも挙げるしか反対の理由を持たない」代表となってしまった。
くり返す輩が後を絶たない事で、反対派の主張は議論に値する内容ではない、という印象を裏付ける結果をもたらしたのだ。
・「非実在青少年」の削除
2月の提出案に尤も大きく反対されたのは
被害を受ける存在など実際には居ない、という事だった。
被害も存在しない、という論だ。
今だにBLを代表に被害者も犯罪者も存在しない、という論を持ち出す人間が後を絶たない。
都側は既にそれは焦点ではない事を明確にしているにも関わらず
規制反対理由としてあげる声が残った。
これは反対派の反対理由が2月の提出案から全く進歩していないことの裏づけでもある。
こうした声の繰り返しは、反対派は規制の本質(目的)を正確に捉えていない、とみなされる結果となった。
自分が振りかざした武器のダメージがまさしく自分に返ってきた例である。
今回の規制は、既存の法律でも禁止されている部分を補完する物である。
逆に言うならば、これまでの規制でも充分にグレーゾーンの作品、雑誌も存在したという事だ。
青少年への購読・購買に自助努力をする時間は充分にあったのだ。
2月の提出案の反対の声を反映し、一般社会の興味も格段に上がった。
これまで漫画に興味のなかった層も
と目を向けるようになったのだ。
当然そうなると、前例の「ドラエもん」や「BL」の反対論のような
全体から見た場合に、問題がある雑誌、作品がごく一部だったとしても
取り上げられる問題のある雑誌、作品が極端に目立ち、認識されるのだ。
戦略としては、こうした世間の目に対して、出版社側は過度な守りの姿勢をアピールとして用いるべきだった。
特に目立つセックス描写の多い、有害図書認定されるような作品、雑誌のハードルを上げ
あるいは18禁という明記を行うなど、販売・購入時の防止策を用意しつつ
同時に、年齢規制を行うべきではないが、グレーゾーンの表現が必要な作品とは違う、とするアピールだ。
一部の成人向け同様の作品を載せた青年誌であり
自分達が読みたい作品、雑誌を奪うな、という利己的な購買層に主張であり
あまりに利己的な自己都合の主張はマイナスイメージの植え付けにしかならなかった。
これらによって一部の「規制の目的に該当しない作品である」という冷静な分析・主張が覆い隠され
「販売・購読したいから規制に反対である」という反対派の構図が出来上がってしまった。
「販売の規制対象にする事で表現を守りたい」という意見などもあったが
それを急に大きくあげつらうこと自体が、”ヲタク”というカテゴリの人々が
また、目的を踏まえた上で条例の内容の是非を論議するのではなく
そうした個人の姿勢を大きく上げる行動こそが、確たる反論が尽きた場合に行われる行為だ。
大雑把に分けたが、これらの行為で反対派は2月から、
長く条例を賛成に導く手助けをしてきた事になる。
おそらく2月当初は反対だった一般の人間が賛成に回った理由も
こうした反対派の行動が原因だろう。
都知事の問題行動があってて尚、都側の完全な勝利だ。
こうした敗因に加担した反対派には、本当に必要な表現の自由の為に
表現の自由の息の根を止めようとしているのは誰なのかを。
はいはい、ワロスワロス。 ネットの影響なんざ微塵もネェヨww 良い方向でも悪い方向でも、影響あったなんて考えるのは自意識過剰すぎ。