例えば出版で一番でかい講談社でも売上は1,245億円、従業員963名。
出版界全部の売上にアニメ業界全部の売上足しても、ドコモはおろかソフトバンクの売上にも達しない。
出版界は東京都を刺したつもりになっているけれど、東京都の流した血は一滴という状態。
受け皿的イベントをと軽々しく言うけれど、TAFは東京都から補助金が1.5億円出ててようやく開催できている状況。
出展料が倍に増えても大丈夫なのは大手だけ。中小は出店できないイベントになる。
確かに。一理あると思う。
「親がやらせている」のとあるだろうし。
教師の言も子供の言い分もきちんと聞くことが出来、
さらには「そう成るように『自分が』育てた」としたいだけなので、
その場合は、「特別いきたくもない学校」にわざわざ「したくもない勉強」をして入ったということになる。
習い事にしたって、好きでやってる方が何倍も努力できるし長続きする。
場合によっては親の口出しなんて不要だろう。
やりたくも無くやってるのなら、練習するのも苦痛でしかないのに続けていくのは大変だろう。
その上親から文句が来ようものならやる気は無くなるしプレッシャーで精神的にもきついだろう。
子供が潰れそうになっても、見栄の為に何かさせようとする親ほど子供を顧みないし忠告も聞かない。
なぜなら悪いのは自分では無く、自分の希望に沿うことが出来ない「子供」だと思っているから。
いや、娯楽作品はめちゃくちゃ人間性を高めるよ。決して倫理性を高めるとはいわないのがミソ。人間は倫理でできているけど、それだけでできているわけじゃないからね。娯楽でもできている。
娯楽って何だろうというと、決まりを打ち破ってそのギャップに笑うものだ。『へうげもの』的にいえば「甲ならぬ乙なもの」だ。
そういうものの面白さを倫理の観点から否定するのは、人間性を不可能にする。倫理は保守にはいいかも知れないが、革新には倫理を超えたものが必要になる。そしてそれがないと革新はできない。
たとえそれが娯楽で、一見革新とは何の関係もなくても、セラムンやエヴァ前後で(あえてオタク以外にも受けたというか、オタク以外をオタクにした作品を挙げる)若者の意識は相当革新しているから。
単位認定は厳しくすべきだとは思うねぇ。
ただ、文系の院なんかもそうだけど基本的に「箔がつく」って発想はあんまりないよ。
やりたい学問があるからやってるだけ。箔つけたいならもっと効率のいいやり方あるわけだしさ。
そもそも、研究にまい進する文系ってのは将来ドブに捨ててる人達なわけで、「理系から逃げた」みたいな
発想の人って少数だと思うわ。そんな人たちは普通に就職していったでしょう。
まぁ、在野には「日本の文系は程度が低い、読書すれば十分だ」とおっしゃるすばらしい知性をお持ちの方がいるようだし、
海外と日本の文系大学で実際に何を研究しているかをご存知の上で程度が低いと断じる素晴らしい知識をお持ちの方まで
で、文系学んで箔がつくほうがおかしい(世界が間違ってる)と書いたわけなんだがな。
まあいいか。バカ追い出すために単位認定要件を厳しくした方がいいな。卒業要件ではなく、単位認定レベルで。
それで運営が成り立たないなら潰れても構わないだろう。
逆に言えば、多数の人が「これは芸術である」と主張すれば芸術になるよ。
だから、マンガもゲームも芸術足りえる可能性を持っているし、既存の「芸術」と「ゲーム」の間に
授業のレベルにそこまで差があるかなぁ、とは思った。学部レベルだとどっちもどっこい。
ただ、単位の認定要件が厳しいから海外の大学だとダラダラできないってのが大きいかなぁ。
でも、ドイツなんて学費安いし(今ちょっと高くなったけど)留年し放題だし一度退学して戻ってくるのも普通だし、
結局あんまり違わない気が。どこの国でも文系に実用性なんかないよ。
研究なんて結局やりたくてやるもんだし、文系で院まで突き進むやつはそもそも「実用性」なんて考えてないよね。
というか「程度が低い」って言う人結構いるけど。
は?
だから、「一個人が」「これは芸術なんじゃないか」なんて言ったって芸術になんてならねーだろって話だろ?