2010年12月11日の日記

2010-12-11

父親はどこへいった?

その母親をのさばらせて、その最重要事項に対してコミットしてこない父親は。

http://anond.hatelabo.jp/20101211193747

都知事が会見で

「不健全企業がなんか抵抗してたみたいだけど、いっそ潰れてもいいのでは」ぐらい言ってもまだ余裕があるね。

http://anond.hatelabo.jp/20101211142318

コンテンツ産業って目立つけど、産業規模としては小さい。

例えば出版で一番でかい講談社でも売上は1,245億円、従業員963名。

出版界全部の売上にアニメ業界全部の売上足しても、ドコモはおろかソフトバンクの売上にも達しない。

それが全部なくなっても、東京都には大した影響ではない。

 

出版界は東京都を刺したつもりになっているけれど、東京都の流した血は一滴という状態。

アニメ業界が流す血は相当なものになるけどね。

 

受け皿的イベントをと軽々しく言うけれど、TAF東京都から補助金が1.5億円出ててようやく開催できている状況。

出展料が倍に増えても大丈夫なのは大手だけ。中小は出店できないイベントになる。

 

この辺りを踏まえて、TAFボイコットする意味を考えてもらいたい

http://anond.hatelabo.jp/20101211183251

小学校中学校のお受験してるような人が能動的に勉強なんてするわけねーだろw

子どものためってのは自分のためでしかないってば。

http://anond.hatelabo.jp/20101211161047

かに。一理あると思う。

真実子供のためを思って」受験させようとする親と、

自分の見栄のため」に受験させようとする親といると思う。

習い事したって「子供がやりたくてやってる」のと

「親がやらせている」のとあるだろうし。

子供のために受験させる親なら、

教師の言も子供の言い分もきちんと聞くことが出来、

勉強邪魔になるようなことはしないだろう。

自分のために受験させる親は、

「有名校出・高学歴子供を持つ自分」に親が成りたいだけ、

さらには「そう成るように『自分が』育てた」としたいだけなので、

過干渉をし独りよがりの教育理論を振りかざして、

子供勉強しにくくしてしまうのではないだろうか。

どっちが受験に成功しやすいかといったらやはり前者だろう。

後者でも受験に成功する子供もいるだろうけれど、

その場合は、「特別いきたくもない学校」にわざわざ「したくもない勉強」をして入ったということになる。

こうなると後々の反動が来たときが怖い。

習い事したって、好きでやってる方が何倍も努力できるし長続きする。

場合によっては親の口出しなんて不要だろう。

やりたくも無くやってるのなら、練習するのも苦痛しかないのに続けていくのは大変だろう。

その上親から文句が来ようものならやる気は無くなるしプレッシャー精神的にもきついだろう。

子供が潰れそうになっても、見栄の為に何かさせようとする親ほど子供を顧みないし忠告も聞かない。

なぜなら悪いのは自分では無く、自分希望に沿うことが出来ない「子供」だと思っているから。

『素敵な自分』で在り続けたいがために、自分の非はなかなか認めないんだろうな。

子供は親の盆栽では無いんだけれどね。

http://anond.hatelabo.jp/20101211180355

なんとなく女性だと思っていましたが、

男性のような気もしてきました

しいですね。

最後に参考までに年齢を教えてください。

http://anond.hatelabo.jp/20101211180121

それはわかりません。

僕が女性と書いても、男性かもしれない。

男性だと申告しても、女性かもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20101211165319

いや、娯楽作品はめちゃくちゃ人間性を高めるよ。決して倫理性を高めるとはいわないのがミソ。人間倫理でできているけど、それだけでできているわけじゃないからね。娯楽でもできている。

娯楽って何だろうというと、決まりを打ち破ってそのギャップに笑うものだ。『へうげもの』的にいえば「甲ならぬ乙なもの」だ。

そういうものの面白さを倫理の観点から否定するのは、人間性を不可能にする。倫理保守はいいかも知れないが、革新には倫理を超えたものが必要になる。そしてそれがないと革新はできない。

たとえそれが娯楽で、一見革新とは何の関係もなくても、セラムンエヴァ前後で(あえてオタク以外にも受けたというか、オタク以外をオタクした作品を挙げる)若者意識は相当革新しているから。

革新のために娯楽は必要ですよ。政治闘争が必要であると同じくらいに。

まあ、MARCHが中堅と呼ばれるような国ですからね。

http://anond.hatelabo.jp/20101211172557

単位認定は厳しくすべきだとは思うねぇ。

ただ、文系の院なんかもそうだけど基本的に「箔がつく」って発想はあんまりないよ。

やりたい学問があるからやってるだけ。箔つけたいならもっと効率のいいやり方あるわけだしさ。

そもそも、研究にまい進する文系ってのは将来ドブに捨ててる人達なわけで、「理系から逃げた」みたい

発想の人って少数だと思うわ。そんな人たちは普通に就職していったでしょう。

まぁ、在野には「日本文系は程度が低い、読書すれば十分だ」とおっしゃるすばらしい知性をお持ちの方がいるようだし、

海外日本文系大学で実際に何を研究しているかをご存知の上で程度が低いと断じる素晴らしい知識をお持ちの方まで

いらっしゃるようだから。なにを言われても仕方が無いですね。

んで、単位認定厳しくしたって上位大学は問題なく人が集まるだろうし。

その程度で潰れる大学は潰せばいいと思いますね、それは同感。

薬を飲んでいるから身体の調子が悪い。

http://anond.hatelabo.jp/20101211172455

だめだ、言いたいことがぜんぜん伝わってない。

いや、きっと俺が悪いんだ。俺が悪いに違いない。

http://anond.hatelabo.jp/20101211172241

で、文系学んで箔がつくほうがおかしい世界が間違ってる)と書いたわけなんだがな。

あいいか。バカ追い出すために単位認定要件を厳しくした方がいいな。卒業要件ではなく、単位認定レベルで。

場合によっては一年で退学というのも考えたほうがいい。

それで運営が成り立たないなら潰れても構わないだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20101211172032

逆に言えば、多数の人が「これは芸術である」と主張すれば芸術になるよ。

からマンガゲーム芸術足りえる可能性を持っているし、既存の「芸術」と「ゲーム」の間に

本質的先験的な違いは存在しないよ、ってお話

からゲームやろうがドストエフスキー読もうが基本的に一緒。

権威あるものがお好みですか?そうでもないですか?ってだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20101211171752

社会科学専攻してて、ボン大学留学してたけども。

授業のレベルにそこまで差があるかなぁ、とは思った。学部レベルだとどっちもどっこい。

ただ、単位の認定要件が厳しいから海外大学だとダラダラできないってのが大きいかなぁ。

でも、ドイツなんて学費安いし(今ちょっと高くなったけど)留年し放題だし一度退学して戻ってくるのも普通だし、

結局あんまり違わない気が。どこの国でも文系に実用性なんかないよ。

研究なんて結局やりたくてやるもんだし、文系で院まで突き進むやつはそもそも「実用性」なんて考えてないよね。

というか「程度が低い」って言う人結構いるけど。

海外日本文系大学を両方経て言ってるんだろうか。よくご存知だな、と思う。博学な方なんだろう。

文学博士読書渡りあう、という在野の精神もお持ちだ。格好いい。

http://anond.hatelabo.jp/20101211171742

は?

から、「一個人が」「これは芸術なんじゃないか」なんて言ったって芸術になんてならねーだろって話だろ?

どんな作品も「芸術になる可能性」を秘めているが、「創られたその瞬間から作品は芸術である」とはならないだろ?

その年月を経た評価プロセスによって価値が大きくなって権威がついて芸術となるんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20101211171202

欧米大学勉強しないと卒業できないからじゃないか

日本だと入っちゃえば出るのは簡単かつ、なんとなくで理学工学に行こうと思うやつは圧倒的に少ない

晴れて文系就職予備校状態に

http://anond.hatelabo.jp/20101211171202

理系ができない人の逃げ場でしかいから。

あと、実用的でないから。

日本文系がやってることってのは、程度が低い。だいたい文学なんてのは読書やってれば渡り合えるからな。箔がつくほうがおかしいだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20101211171403

まぁ、芸術権威システムってのは確かに事実っちゃ事実なんだけどね。アカデミズムとも切り離せないし

でも、それって「権威」の問題であって芸術の問題と違うよね。

芸術とはつまるところ権威であるって話になると、「ゲーム」や『漫画』も権威の後押しを受ければ

芸術足りえるって結論になっちゃうよね。いや、そうなんだけどさ。

要するに、本質的芸術でない創作物ってほとんどないんだよ。それは世の中の権威が決めること。

芸術本質なんて規程できないんだから

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん