2010-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20100904050444

人権教育」の問題。

実は、自分も似たような体験をしたことがある。

差別はいけません」だけでなく「なぜ差別がなくならないか」を論じることが大事。

(9/5 0:45追記)

上の話に反論が来てたようだけど、自分元増田が「差別はいけない」という思想しかもたなくて、一番通じ合っているつもりだった肉親に対して「排除」以上の方法論をもっていなかったことを、一番残念に思った。

よく人は「差別と闘う」「差別は絶対に許さない」と勇ましいことを言う。けれど、一人の差別者の考えを変えることすらできないなら、そんなお題目になんの意味があろう?

問題は、もちろん「差別がなぜ起こるか」であり、そして「差別がなぜなくならないか」である。元増田母親差別者となってしまう構造を分析することが大切であり、その構造をどう変えるかについて考えることなしに、どうやって現実差別と闘う術を身に付けられるだろう?

現実差別があることは認識しています、お母さん」

「その差別に根拠があるかどうかについてはご存じですか?」

「さらに、結婚相手やその子や孫に罪があると、あなた自信はお考えになりますか?」

「罪のない人に対して、言われのない差別をすることは、一般に言って正しいことですか?」

「我が子に苦労をさせたくないという気持ちは、親の気持ちとして正しいと思います」

「けれど、我が子が『必要』と思い『背負おう』と思っている苦労を一方的に排除しようとするのは、

 お母さんが仰る「他者の考えを変えようとする傲慢」と同じことではないですか?」

「私は、不当な差別に基づく偏見を共有することは、実際にその差別に荷担することと同じだと考えます」

「そのような不当な行為に荷担するくらいなら、そのことから被る不利益はあえて甘受するというのが私の人生観です」

「お母さんにもそう考えよとは申しませんが、私にとって大切な存在であるお母さんには、私がそのような人生観をもっているという事実について、理解し受け入れて貰いたいとは考えています」

「あくまで私の希望として」

「以上の話におかしい点があれば、伺いたいとは思います」

「苦労する、というのは分かっております」

「端的に言えば私は間違ったことをして楽をするくらいなら、正しいことをして苦労したいのです」

たとえば、元増田には、せめてこの位のことを言って欲しいと思った。

難しいとは思うけれど。

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