同性愛の人と会ったことがあるが、男じゃないと思ったことはないよ。
ビアンの人の書き込みとかも読んだけど、そういう風に思っている人は一人もいなかった。
やる気が起きないのでアドレスを載せて、
誰かがメールくれるかもしれないことを楽しみに動こうと思います。
返信するかもしれないししないかもしれないしで
(返信されたくなければそう書いてもらえれば絶対しません)
なんかそういうのどうでしょう。
コミュニケートしたいめんどくさがり屋に愛の手を!
確かにそうだな。
それをやれば確実に罰せられる。
客観的に見れば、負けだろう。
でも、それをしたことによって、いじめっ子が障害を負えば、今後の人生を大きく狂わすことができる。
目玉をくりぬけば、ニコニコ動画を見ることもできなくなるだろうし、杖をついてあるかなければならなくなる。
両腕を切り落とせば、フォークやナイフを使って食事をすることはまずできなくなるだろうし、キーボードを使ってここで発言することもできなくなる。
両足を切り落とせば、義足なしで生活することはできなくなる。
ズボンを下ろして、ほかの生徒たちの前で強制射精させるなりすれば、心に大きなダメージを負わせることだってできる。
仮にそれを行ったことで損害賠償請求されたとしても、いじめっ子に過失ありとみなされ、減額されるかもしれないし、
そいつがどんなにひどいことをしてきたかを周りの奴らに認識させることができる。
そこまですれば、どちらが勝ったかなんて言うことはできなくなるんじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20091120081037
いわゆる「非モテ」を自称してるヤツらのほとんどって、打席数0なのに「打率0.00であること」に悩んでるバッターみたいにアホだ。
0じゃなくてもせいぜい1〜2打席だろ。しかも思いっきりバットを振ったかどうかも怪しい1~2打席。
「野球なんて興味ない」とウソブくのは結構。だったら「打率0.00」を自称するなと。
しまいにゃ「最近のピッチャーはみんなクセ球で打ち辛い」とか文句言ってるヤツまでいるから始末が悪い。
ろくに打席に立ったこともないくせに「内角低めのカーブが苦手だ」とか「スローボールなら打てるかも」とか何言ってんだか。
恋愛という野球ゲームは手さえ挙げ続けていれば誰にでも何度でも打席が回って来るルールになってるんだよ。
そしてバッターの目的は塁に出ること、得点を上げることであって打率ではない。
で、この増田は好むと好まざるとに関わらず、気がついたらすでにバッターボックスに入ってしまっていたわけだ。
「見逃し三振は地獄だ」ってどんだけナイーブなんだよ。
野球経験がないことを悩んでないで、バッティングセンターに行くなり、本買ってきて素振りするなりすりゃあいいじゃねーか。
今さらそんなこと出来ませんなんて言ってんなよ。リスクヘッジとか気取ったこと言ってるヒマがあったら相手ピッチャー研究しろよ。
結果は十中八九アウトだろ。でも、同じ三振なら見逃し三振よりも空振り三振のほうが次に繋がると思うがな。
人は同一性を自らに対して大いに求めている。
つまり、『私は私である』ということを最大限に求めている。
また、同一性は、性別に依拠しがちである。
つまり「私は男である、女である」ということが、『私は私である』という同一性において、重要な部分を占めている。
では男である、女である、ということは、一体どのようなことを指すのであろうか。
それを端的に言うならば、異性を愛することができる、ということだ。
しかし、もし自分が、同性を愛してしまうような性質を持っていることを認めてしまえば
「私は男性、女性である」といった同一性に、大きな揺らぎが加えられることになる。
つまり、そのことによって『私は私である』という根本的な同一性が、大きく揺らぐことになるのだ。
同性愛者達にとって、『私は私である』という同一性を求めることは、一つの大きな困難なのである。
逆に言えば、どうにかしてそこに折り合いを付けていかなければ、彼らは生きていくことができないのだ。
だが、ちょっと待ってほしい。
相手に暴力を加えたり、殺したりすると、自分は確実にその罪に問われる事になる。
学校なら停学や退学、下手したら普通に逮捕だ。社会人なら人生がそのまま終了しかねない。
しかし、いじめる側が罰される事はない。
それは、いじめる側は巧みに自分が罰されないような手口を使うからだ。
相手に万引きなどの犯罪をさせるようプレッシャーを与えるような古典的ないじめなんてその典型。
この場合、罪を犯すのは万引きをした「被害者」であり、それを誘発させたいじめっ子はお咎めなしだ。
物理的な暴力を振るう場合も、肉体的ではなく精神的なダメージに重点を置くため
(相手に怪我をさせる事に興味はない)
罰する側も「別にこの程度くらい」と甘い対応をしてしまう。
いじめる側は世渡り上手で、システムをいかに自分のために利用するかをある程度把握している。
分かりやすく言うと、いじめる側っていうのは、ヤクザやマフィアみたいなもの。
法の中でいかにして存在するか、そういった知識を自然と身につけている。
だから彼らは世にはばかる。周囲を利用する事を躊躇しないからな。
彼らを敵に回すと自分は本当に為す術がない。
暴力に訴えて反撃なんてしたら抹消されるし、そんな事になったら結局は相手が勝った事になってしまう。
殺せって言うなら、ちゃんと正当防衛、悪くても過剰防衛になる線を教えろよwww
「女性はもっと自立すべき」的な考えがそろそろ限界に近づきつつある昨今、超依存してハッピーライフを送ろう。
「超依存」=相手に頼りつつ、相手任せにせず、相手のパワーを最大限に引き出して、幸せになること。
恋は思い込みであるかもしれないが、しかし逆に言えば思いこむことによって、それは恋になるのだ。
からかわれたら、平手打ちをしろ。
殴られたら、目玉をくりぬけ。
首を絞めろ。
ありとあらゆる手段を用いて反抗せよ。
親が文句を言ってきたら、その親を殺せ。
マスコミ各社に犯行声明を出し、いじめられていることを世間に伝えろ。
そうすれば、勝てる。
そうすれば、誰も馬鹿にするやつらはいなくなる。
条件によらず人を好きになれる、ってすごく純粋な気がする。
条件が悪いので、好きになりそうな人を好きにならなかったことはある……不純だ。
細い道を歩いているとき、自分のすぐ後ろを歩いている人から咳ばらいされた。
どけろという意味でやってるのか。
喉が痛くて咳しただけでこんなこと思われちゃやってらんねーな。
そのうち咳しただけで逆上されて刺殺される世の中になるのかな。
嫌悪すると親しみがなくなり知らないことが増え恐怖する、のかな?
わざとらしい咳ばらいと鼻すすりは実際にあると思う。
細い道を歩いているとき、自分のすぐ後ろを歩いている人から咳ばらいされた。
どけろという意味でやってるのか。
陰湿だな。
身近な人を見ていると、
・沈黙が起こったとき。
・通りすがりざまに。
・嘘をついているとき。
・誰かが物を落としても、拾ってあげないとき。
こんなときにしているように感じた。
候補にすら挙げてもらってない松本零士……
何で、この世の中には俺より頭も良くて、人間性のいい人間がいるのに、
世の中はよい方向に向かわないんだろうか。
自分で答え書いてるじゃん!
答えは「この世の中には俺より頭も良くて、人間性のいい人間がいる」から。しかもたくさん。
たくさんいるってところがポイントだね!
まずはこれを見てほしい
http://anond.hatelabo.jp/20091120120348
細かいことには目をつぶってほしい。
最初に、何が言いたいのかと言うと、平将門はご利益よりも祟りの方が有名だということだ。
言っておくが、俺は将門が嫌いなわけではない。
かといって好きというわけではなく、単に承平天慶の乱を良く知らないというだけのことだ。
しかし世間の将門評、いわゆる”首塚”というものが気にいらない。
なぜ気にいらないのかと言うと、それが呪いとか恨みとか否定的であるからだ
そういった、将門評は、上のURLで見てもらった手塚はしらないが漫画にも多少は影響を与えたと思っている。
なにかあれば、将門将門、あれもこれも将門
なかには関東大震災も、将門の祟りというデマが当たり前のように見受けられる(実際は帝都物語によるフィクションである)
もし知らないのであれば、一度読んでみてほしいと思う。
無味でもないし山芋おろしにも食感似てないと思うし、なにより口に含むと喉から鼻腔を強烈に刺激する潮のような臭いが最大のインパクトだと思うんだけどその辺書いてないし本当に飲んだことあるの?て感じなんですが、よっぽど個人差あるものなのかな。