2009-11-20

同性愛における同一性の揺らぎ


人は同一性を自らに対して大いに求めている。

つまり、『私は私である』ということを最大限に求めている。

また、同一性は、性別に依拠しがちである。

つまり「私は男である、女である」ということが、『私は私である』という同一性において、重要な部分を占めている。


では男である、女である、ということは、一体どのようなことを指すのであろうか。

それを端的に言うならば、異性を愛することができる、ということだ。


しかし、もし自分が、同性を愛してしまうような性質を持っていることを認めてしまえば

「私は男性、女性である」といった同一性に、大きな揺らぎが加えられることになる。

つまり、そのことによって『私は私である』という根本的な同一性が、大きく揺らぐことになるのだ。

自分自分でないような苦しみを、味わうことになるのである。


同性愛者達にとって、『私は私である』という同一性を求めることは、一つの大きな困難なのである。

逆に言えば、どうにかしてそこに折り合いを付けていかなければ、彼らは生きていくことができないのだ。

  • 同性愛の人と会ったことがあるが、男じゃないと思ったことはないよ。 ビアンの人の書き込みとかも読んだけど、そういう風に思っている人は一人もいなかった。

    • まあそうかもしれません ところでビアンの人はそこまで同一性を見失ったりしないというのは、どっかで聞いたことがあります

  • バイだけど共感できない。そう簡単に揺らがないよ。

  • その昔、バイの知り合いが 「俺は男を愛するとか女を愛するとか、そういう風には考えていない。俺は人間を愛する、そういう風に認識している」 って言ってたのを思い出した。それな...

    • 実際の声を聞いたことのない私にとって、貴重なご意見感謝。 どうもこの仮説は個人的なものに過ぎないのかもしれません、むー

  • つーか、異性を愛することが出来なければ男/女じゃないというその発想が謎

  • 自己同一性が性別に依存するとの説と、性別は異性愛に依拠するとの説は全然別のもので、しかも両方とも直観的でも論証的でもないな。 つまり正しくない。

  • では男である、女である、ということは、一体どのようなことを指すのであろうか。 それを端的に言うならば、異性を愛することができる、ということだ。 誰かを愛することができ...

    • 困難だとは思いますが、同一性が原因で生きていくことはできないというのはわからない。 迫害を受けて、生きていくことができないというのはわかる。 まあ、逆に言うと、折り合...

  • トランスジェンダーのことをいいたいのかな。それともあえての同性愛者? トランスはトランスで身体と違う自分の性を認識しているからトランスなわけで、やっぱり増田の主張はよく...

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