排外主義のレッテル貼られてる連中の攻撃対象は専ら不法入国者だろ。
こないだのフィリピン人夫婦だって、オーバーステイとかじゃなくて他人名義の偽造パスポートをブローカーから買ってたとか最近知ったわ。
そういう部分に対して「そこはきちんとケジメつけないとね」という意見の受け皿が反排外主義陣営に無い気がするんだが。
で、在特会がそういう層を(一部とはいえ)取り込んでしまう。
在特会系の団体に台湾人とかフィリピン人も少数ながら混じってるのもそういう一面があるんだろう。
「真面目に手順踏んで入国してきた俺たちがバカみてーじゃん」「我々の同胞全員が不法入国者と誤解される」という外国人の声すら在特会は吸収し始めてる。
ようこそ、最低で、最悪のプロジェクトへ。
歓迎する。
俺は本田 節子(ほんだ せつこ)。
プロジェクトがアレでな。現場教育を続けながら、二線級の現場で開発している。
まあ、これから先どうなるかわからんがな。
この間大勢辞めて、オメーはその代替え要員ってわけだ。
いいぞ、ここは。派遣ばっかりだが、本物のソフト屋が揃っている。
…以上、状況説明終わり。
後は適当にやりな。
このまま日本の衰退が続けば
生活の保障といっても、財源無ければできないし。
そうならないように、ちゃんと働いてほしいのだが。
俺も素人なんだけど、要はその場や現象にどんな名前が付いてるかってことなのだろう。
で、原子核と電子の間は原子、星と星の間は宇宙って名前が付いてる。
レールとレールの間も線路な様に。
いいなと思ったらすぐ付き合った方がいい。
何回か会ってみないとわからないなと思ってチェックしようとすると、「あ、ここはよくないな。ここは好きじゃないな」とマイナス査定になってしまう。
すぐ付き合って何回も会っていった方が、「ここがいいな、こういうところもいいな」とプラス査定になっていける。
http://anond.hatelabo.jp/20090930114312
「やおい」も「BL」も単なる人形のキャラクターを動かしているだけ。ただのごっこ遊びだから、別に罪もないし、クオリティもたいしていらない。
○○ちゃん人形とかを並べて、適当に役割ふって、ドラマみたいなものを作って、遊んでいるだけ。
ただし、女性の人形遊びは「空気の読み方を覚える」という切実な理由があるから、わりと真剣度は高い。女性で空気読めないと、男性の比ではなく「居場所」が無くなる。女性って生まれながらに回りの空気に合わせるのが当たり前だと思われてるから。でもねえ。訓練無しに読めるわけじゃないんだ。
逆に言うと「やおい」や「BL」は男性なのに細やかな空気を読む、あり得ない男性に、あり得ないシチュエーションで、あり得ない恋をさせたりするんで、男の目に触れたら「男性で遊ぶんじゃねえ」と反感買うの必至なんだよね。わかってるからコソコソやってるんだから、ソッとしておいてあげてよ。日本は男性社会なんだよ。女性に睨まれても「生きにくい」で済むけど、男性に睨まれたら「生きていけない」んだ。勘弁してよ。
いや、同じ事を言っていると思うけど・・・
趣旨は、博士課程の最後の1年間で、論文を書くかまとめるか?ではなくて。
旦那は博士課程の旦那が博士号を取れない可能性が高いということが、最後の1年よりも前にわかるか、わからないか?
じゃないでしょうか?
そのテーマに照らし合わせると、博士号の論文は、1歩譲って最後の1年に書くという表現をするとしても、
そのための下準備は、最後の1年よりも前に終わらせておく物。基礎研究しておく物なので、そういうところをみれば
最後の1年で博士論文が書けるかかけないかは予想がつくでしょうという事が言いたい。
逆に、最後の1年までに地道に論文を積み上げてられるひとが、最後の1年で論文を書けないとは思いにくい。
ということは、実質的には論文が積み上がっていない、基礎研究が終わっていないという予測がたてられるので
結婚生活は10ヶ月ということは、1年前って事で。満了が6年として博士課程4年目って事で、そこまでの執筆ペースから、
その後の執筆ペースはおおよそわかるでしょうと。
そうすると、博士論文が上がらないリスクというのは、結婚前にあるていど読めていたはず。
もちろん、男が嘘つきだったというのは、あるだろうけど、博士論文については、知ってる人は予測がつく物だから
しらなかったのなら、しょうがないけど、予測つくということは知っておいた方がよいし、学生結婚なら
こっそり、担当教諭に博士号の取得の正否について、結婚前に聞くぐらいはしておいたほうが安全と。
だいたい、担当教諭はわかってるだろうと。ひどいのではないかぎり。
と趣旨はそっちで、博士論文を最後の1年で書こうと3年かけてコツコツ書こうと、最後の1ヶ月で馬力入れて書こうと、それはかまわないとおもいます。
通るかどうかはそこまでの実績でわかるでしょという方が趣旨なので。
結局、博士論文は、書くか書かないかじゃなくて、通るかどうかが問題なので。
で、話は戻って、博士課程は、ピンかキリかしかいない。真ん中は修士で就職してしまうので。という事を考えると、元増田は期待するのはいいけど、裏取りはした方がよかったね、博士の場合は、そういう理由(なんとなく、博士に進んだ場合、博士は卒業すれば取れるという物ではない。だから危険)もあるからあぶないよと。
訓練校は調べたことあるけど、失業保険の受給期間を延ばしたい人がいくところな感じでした。
すまん、いいたいことの意図は分かるつもりなんだけど、どうも僕の説明が下手なようで伝わっていない気がしてきた。
ドクター論文の「内容」という点では、投稿論文の「内容をまとめて」作るものだと、私は思うよ。
とはいえ、たとえば極端に言い方として、投稿論文をホチキスで止めただけ、という作業では不足だし、高々2~3本の投稿論文を、単純にマージしただけでは、内容的にも分量的にもD論としては不足すると、私は思う。
そこで、投稿論文の「内容をまとめ」ながら、さらに肉付けしたり、重複する箇所は削ったり、その過程で追実験したりするのが、「ドクター論文をまとめて(書いて)」いく。そのためには追実験やら検討をする時間も必要だから、そのために最後の1年を設定する・使うんじゃないの?というのが、私の指摘でした。
大意としては、あなたのいいたいことも分かっているつもりなんですが、伝わりますでしょうか?
その際に、最低2本の学会誌掲載が必要だったよ。
大学や分野によって違うけど、課程Dだとそんなもんだと思う。国内外の学会は問わないが、査読付の英文誌、または、それ相応の学会の査読付英文Proc.で最低2本以上、できれば3本というのが、一般的な工学部の課程Dじゃないかな。論文Dでも、D論とは別に投稿論文を5~6本は要求されるでしょう。
以降、あなたの指摘には私も同意で、そして最後のところ。
理工系だと前述の通りなんだけど、文系だと事情が違うのかなぁと思っている。それは先の書き込みの通り。
ウソかホントかは知らないけれど、いまだに「満期退学が当たり前」とか、「教員でも紀要しか実績にないのが当たり前」とか、そんな噂があるからなぁ。学生の時点で投稿論文があるとか、順調に課程Dを課程内で取るとかが、当たり前じゃない世界があるのかもしれない。理工系にはないけど。
訓練校とかはないの?
おいらも素人だから識者のTBを待ちたいところだけど、一応イメージとして持ってるのは、素粒子みたいなものが点々と空間に存在してその間に何かがあるっていうのじゃなくて、そもそも存在するのは「場」であって、場のふるまいを説明するのに都合が良いモデルが素粒子みたいなものだって感じなんじゃないかなと。
ちょっと素人のたとえなんで間違ってる可能性大きいけど、例えば鳴門みたいな渦潮がいくつか巻いてるところがあるとするじゃん。渦潮を局在する実体と考えると「渦潮と渦潮の間には何がある?」という問いができそうだけど、よくみてみると渦潮は現象にすぎなくてどこもかしこも海があるだけ、みたいな。
弱みにつけこまれて、本人達は「救われた」と思っているんだけど、
実際は逆らえない依存関係なんだから都合良く使われてるだけなんだよな。
「それでもいいよ。得する方についてくよ。」って事なんだろうけど。
さすがにそれは個人の自由だから基本的には好きにすればいいんだけど、
縁を切らせてほしいなあ。
ただ、今までの反応から本気でこれでいいとは思っていない事はわかってるんだけど、
ストレス解消先が無くなるまで表面化しにくいだろうな。
投稿論文の内容を『まとめ』てドクター論文にするがうちの大学だった。
その際に、最低2本の学会誌掲載が必要だったよ。
逆に言うと、学会誌掲載ができないレベルの論文を『まとめ』ても卒業に満ちるレベルではでしょうと。
なので、確かに100Pぐらいは妥当だろうし、最後の1年でまとめて書くのだろうけど
ネタ自体は最後の1年になる前にはもうそろっているんだから、それこそ、書くんじゃなくて、まとめる。物だし。
最後の1年だけで、学会誌掲載2本はそうとう難しい。
諸般考えると、大学時代に基礎研究をして、修士に時代に研究会・学会誌掲載を経験して、
そうでなくても、学会誌掲載のペースがわかれば、ドクター論文の執筆ペースもわかろうということ。
そんで、ちゃんとした学会誌に何本も掲載されていて、ドクターの論文通らないって、ほかの事情がない限り考えいにくいし。
まぁ、最後の1年になる前には、わかるでしょうと。
日本はT型とかI型とか いう以前に.型。大学の専攻が専攻になってない。
音楽がよい例で、小学生から音楽の勉強をしているとか当たり前。そこから20年近く経験を積んでという世界。
それって、技術とかも一緒。結局、積み重ねが大事。
大学側も経営があるので、そういう学生も取っちゃうし、単位ギリギリでも卒業できちゃうし、有名大学だと就職できちゃう。
でも、4年間遊んだ奴って、.型じゃん?
結局、自然科学にしろ、ITにしろ、株や経営にしろ、高校ぐらいから専攻を決めて積み重ねていかないと、つらいと思う。
新人は即戦力にはなりにくいというのが定説だけど、高校ぐらいから専攻を決めて、その分野でアルバイトしていれば、
俺、現役で旧帝大(東・京ではない)受けて受かって、滑り止めすら受けなかった俺は、こういう受験時代の青春のようなものをほとんど感じたことがないんだよなあ。もうちょっと真面目にやっときゃよかった(東大目指すとか)と今は思う。