別にどっちでもいいんだけどね。
■8代前って、何百年前のことを指しているんだろう。一般的には800年前?
お前の2代前にあたる爺さんは200年前の人間なのかよw
「自分は知らないからそんなものはなかった!」と騒ぐ前に、本とかたくさん出てるんだから読めよ。
「日本人は昔から性に厳格だった」ことにしたい理由はなんだ?
交通機関のない昔のことだからねェ
いや、現代であっても、例えば山梨は東京都と隣接してるけど田舎じゃね?と言われるとな…
(山梨県民済まぬ)
俺はそんな文化知らん(未経験)し、
そりゃ今の若い奴で文化としての夜這いを経験してる奴なんてそういないだろw
「昔から」と言っても昔から今まで続いているって意味では無いと思うぞ。
東京に夜這い文化があったかどうかとは全く別の話としてな。
夜這いに関しても一定のルールを設けていた。ルールには未通女処女の取り扱いなどがあり未通女(処女)の場合は農村の年長者、或いは若者組の年長者が優先された。また、ルールを無視して他村の者が夜這いに来ると、若者組が見つけ撃退し、時には制裁を行うこともあった。
どっちかというと、一般的に(男から見た)女性の価値が年齢と共に指数関数的に下落していくことに対する補正項の役割があるんだろう。
とりあえず夜這い文化によって日本は昔から性に寛容だった論者は、
夜這いの起源と終焉、その文化の波及地域を調べてから出直してこいよ。
俺はそんな文化知らん(未経験)し、日本人は昔から性に寛容だとか言われてもピンと来ない。
もう20年以上も前の話だ。
タッくんは足が悪かった。
5, 6年生のときのクラスも同じだったから、そのときのタッくんのことはよく覚えている。
タッくんは生まれつき足が悪かった。
幼稚園の時は少し片足をひきずるような形で歩いていたが、お庭ではみんなと遊んだし、
運動会にも参加していた。もちろん速くはなかったが。
小学校に上がると、随分と悪化したように見えた。
運動会の50メートル走でも、ハンデで25メートルラインからスタートするという方法で
参加するようになっていた。小学校高学年の時は、もう運動会には参加していなかった。
小学校ではいろいろな係活動があると思う。
黒板消し係とか、掲示係とか、いきものがかりとか。
それと同じ並びで、タッくん係というものがあった。
タッくんの車イスを押してあげたり、階段ではおんぶしてあげたりしてあげる係だ。
タッくんは忘れ物や落とし物が多かったし、それにちょっと怒りっぽいところもあった。
それに対して周りのみんなは、さすが小学生というべきか、とても優しく対応していた。
タッくんをいたわるという労は惜しまなかったと思う。
あるときの学級会で、そのことを議題に上げる子がいた。ミホちゃんだ。
「みんな、タッくんを甘やかし過ぎじゃないの?」
「タッくんは足が悪いだけなんだから、それ以外のことは、みんなと同じでしょ?」
ミホちゃんは、タッくんのご近所さんで、タッくんの良き理解者でもあったように見えたし、
なによりも頭の良い子だったから、みんな少し驚いた。
「ミホちゃんって冷たい」みたいな空気が流れた。
でも逆に僕は、衝撃を受けた。
ミホちゃんはすごいと思った。
こういうのが差別なんじゃないかと、おぼろげに理解できた。
そして、僕はミホちゃんをフォローした。
結果的に、タッくんに対しては、もう少し厳しく応対する、つまり、いろいろな意味で
他のみんなと同じように接するということで落ち着いた。
タッくんはその後も悪化の一途をたどり、中学からはみんなと同じ公立の中学に
行くのではなく、少し離れた養護学校に通うことになった。
それ以来僕はタッくんに会っていない。
中学に上がると、タッくんのことは急速に忘れて行ったが、たまに親から状況を聞いたりしていた。
本当の病名が、筋ジストロフィーというもので、現代医学では治らないこと。
そして、少なからず衝撃を受けたのが、命にも関わる病気で、もって20才くらいまでだということ。
その間タッくんのことを思い出すことはほとんどなかったように思う。
ああ、来るべきものが来てしまったなと思っただけで、特別な感情はわいてこなかった。
遅く行き過ぎたせいで、弔問客はすでになく、タッくんのお母さんと直接話ができた。
もとから絵がうまかったタッくんは、養護学校に行ってから絵を勉強して、最近まで、
ずっと描いていたのだそうだ。
ただ、最近では、手も思うように動かなかったから、絵筆を口でくわえて描いていたという。
最後に描いた絵を絵はがきにして、弔問客に配っていたので、僕もいただいた。
これから逝ってしまうときに描いたとは思えない、さわやかな夜空とお月様が描かれていた。
足だけでなく、手も不自由になっていたということは少し驚いたが、筋ジストロフィーというのは
そういうものなんだろうと、妙に納得した記憶がある。
先日、引っ越しをするとき、荷物の中からその絵はがきが出てきた。
なんとなくタッくんのことを思い出し、それから筋ジストロフィーのことを調べてみた。
wikipedia のページを見て、筋ジストロフィーの症状として、精神薄弱などもあることに気がついた。
まさか。
タッくんの落とし物が多かったことや、怒りっぽかったことは、病気のせいだったのかもしれない。
涙がこぼれてきた。
僕と、ミホちゃんがタッくんにした仕打ち。
なんて酷い。
BloggerとかTumblrとかぼーっと見ていて、思ったんです。
どのブログ(だいたい英語)もAdSence貼ってない。一部のブログでは、うわっ、まだポップアップの広告かよ!みたいなことしかけてくるんだけど、それも少数。
それよりも、日本人による日本語のブログがひどい。高確立確率でAdSenseに遭遇する。
やれやれ、って感じ。
夜這い文化を実装した性に寛容な人たちが田舎から上京してくるからでしょう?
いや俺は別にそういう社会が実現しようとしまいとどうでもいいんだけど。
「おお、あれが対戦相手かのう、ベータ、あいつら弱そうじゃのう。こりゃ楽勝っぽいのう。ベータ、ワシのネットブックはどこじゃ? おう、そうそうこれじゃ、これじゃ。どれどれ、vipにスレ立てでもするかのう。ベータ、ワシの老眼鏡はどこじゃ? おう、そうそうこれじゃ、これじゃ。これでよし、と。スレのタイトルは、『弱そうなDQN兄弟と戦うんだけどなんか質問ある?』これでええじゃろ。お、早速レスがついとるの、何々『画像も貼らずにスレ立てとな?』おお、これはいかん、うっかりしとった。ベータ、ワシのデジカメはどこじゃ? おう、そうそうこれじゃ、これじゃ。おい、お前ら兄弟そこに並べ、いや、そうじゃない、もうちょっと寄らんか、フレームに入らんではないか、そうじゃ、よし、そのくらい。なんじゃ、その顔は? もうちょっと笑顔はできんのか。ただでさえイケメンでもないんだから、笑顔くらい出さんと女にモテんぞ。ワシの若い頃はこのスマイルでどんだけ女にモテたことか。ばあさんもワシのこのスマイルにメロメロじゃったのう。しかしなんでまあばあさんはワシをおいて先に逝ってしもうたんじゃろうか。『逝ってよし』と言ったらホントに逝ってしまうなんて、ばあさん、あんまりじゃ。おお、忘れとった。画像を貼らんとな。よし、はい、チーズ。うーん、まあ、笑顔が少し引きつっとるが、こんなもんじゃろ。あぷろだにあげて、と。お、またレスがついとるの。なになに、『>>1のスペックは?』なるほど、これはうっかりしとった。『当方、緑茶兄弟。兄アルファ86歳、弟ベータ85歳、アルファは現在恋人募集中』と。なになに、またレスがついとるの。『DQN兄弟、ブサイクすぎてワロタwww』『一生童貞乙』『m9(^Д^)プギャー』おい、お前らの画像、ぼろくそに言われとるぞ。まあ、あれじゃ、この顔ではそう言われてもしょうがないが、そう気を落すな。人生そう捨てたもんではないぞ。vipの連中は口が悪いからのお。なんじゃ、ぷるぷる震えて。寒いのか。そう言えば今日は少し冷えるの。ベータ、お茶でも飲むとしようか。おお、もう淹れておるとはさすがベータじゃ。それじゃ頂くとするか・・・・・・あ、お、おいこら、お前ら! ワシらを抱えてどうするつもりじゃ。茶も飲んどらんし、スレもまだ一本目じゃぞ。こら、闘技場から落すとは何事じゃ。お前ら、お年寄りはもう少し丁寧に扱かわんか!!」
ろくろ兄弟の二回戦進出が決定した。