これでは、最後のパラグラフが腑に落ちなくなる。
まあ想像で思うだけなら何とでも言えるのでそれは置いといて、
ありきたりな話としか思えないけどな。
これは勉強不足だと言わざるを得ないな。
今日の日本においては、同性愛はあたかも、遠い異国か別世界のことように「そんな人がいるわけがない」と思われている節さえある。しかしながら、10人から20人に1人が性的少数者といわれ、普段、何気なく一緒に過ごしている友人、同級生、同僚や上司、家族や親類の誰かが同性愛者や両性愛者である可能性も決して低いものではないのである。
性的少数者(性的マイノリティー)は、おおよそ概念上で少数者とされているものであり、実際はそれほど少数ではないと考えられる。概念上マイノリティーとなる最大の理由は、多くの同性愛傾向を持つ人々が、その偏見から、社会的に及ぼす影響や自身が被る不利を考慮し、同性が好きであることは普通に言い出せる現状にはないと個人的レベルで判断した結果、隠すための努力をする、隠すために最善を尽くすことを選択するからである。
同性愛を隠して苦悩するってのは十分「ありきたり」だよ。あなたが知らないだけ。
おやおや、一割じゃ不服でしたか?
中高年でも大学行けるんだからいくつになっても手遅れってことはないのでは?
大丈夫だ、あと3機ある。
急な話だが、出会い系サイトに登録することにした。
もう心身ともに辛抱たまらんな状態なのだ。Give me おまん○、なのだ。
おっと、もちろんおまん○だけじゃなくて後ろの穴も、あ、いやいや、熱いハートもわしづかみ。
「いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
そう、俺の名は「略奪者」。上に「プレデター」ってルビふっといて。脳内でいいから。
しかし、いままで合コンにすら行ったことのないコミュニケーション弱者の負け組派遣社員に
いったいどれほどの勝ち目があるというのか。まあ、無視と嘲笑の矢面に立たされるのが関の山だろう。
しかし、千万人と雖も吾往かん、である。
で、どこのサイトに登録したものかと探してみたが、
今使っているADSLのプロバイダがヤフーなので、Yahoo !パートナーにした。
これが一つ目。
しかし一つだけじゃあたぶん相手が見つからないと思うので、他にも探してみた。
友人に訊いてみればいいのかもしれないが、残念ながらそんな友だちなどいようはずもない。
同性からも好かれないないような男が女からもモテるはずもないのであるが、
それを言ったら元も子もないので、とりあえずはビギナーズラックを狙う。
いろいろググってみたら、どうもあっちゃんLOVEというのがいいらしい。
本当にいいのかどうかは分からないが、他に判断材料もないので、
とりあえずこれも候補に入れておこう。
これからとりあえず出撃します。
たぶん英霊になって帰ってくるのがオチだと思うけど。
自分も昔、夏厨であったこと。
リアル中二だった頃、夏休みの平日の昼下がり、先輩から借りた1200ボーの通信モデムのロムカセットをソニーのMSX2に突き刺して、草の根ネットを荒らしてID停止になったこと。
そのとき俺が書き込んだ、自分が死ぬその瞬間について考えて書いた詩に、「いい詩ですね」とコメントをくれた彼女は、今何をしてるかな。生きているだろうか。
いくらこんなに暑い日だったとしても、普通に土日が休日であったなら、こんなことを思い出すこともなかったかもしれない、そう考えると、サービス業も悪くないもんだな、と思う。
なぜあなたは真実を追い求めるのです?
http://anond.hatelabo.jp/20070809190653
もともと親しく接していれば問題はなかったが、旦那が亡くなって寂しくなって抑うつ+苛立ちを抱えた状態で引き取るとなると苦しい展開が予想されるね。家では文句ばかり言って我儘放題だが、外では「自分は苛められている」「邪険に扱われている」などと言い触らす…なんて様子が目に浮かぶ。それも、姑も悪気があってやってるわけではなく、本人にとっては本当に辛い内面の表現に過ぎないからますます大変。姑・嫁ともに抑うつ状態になって精神科受診かな(実際、うつ病の症状が出てきたら早めに受診した方がいい)。そういうケースって少なくないもので、よくあるよ、精神科外来では。
唯一の救いは、まだ時間はある、ということ。今のうちに熱心に見舞いにいって、旦那の両親と仲良くなっておくことだ。そうしておけば、姑が来たことによるストレスからの苛立ちが軽減され、姑も慣れない人と暮らすストレスからの苛立ちが軽減され、少しはマシになるだろう。これは絶対にやっておいた方がいい。葬儀のときは率先して姑の味方として働くこと。
あんた自体がそういうところあるんじゃないの?>他人の不幸を喜ぶ
まあ姑との生活も苦労ばかりではないだろうし、がんばってください。
なんか困ったことあったらなるべく他人に頼った方がよいかと。
頼れる隣人に囲まれると幸せよ。
金脈を掘れば金が出るが、だからといって金鉱山のクズ石が良質である保証にはならない。産地がどうだろうと、クズ石はクズ石。そこらの石と比べりゃ、まあ観光客に二束三文で売れるだけマシって程度に過ぎない。道ばたに偶然に落ちていた金塊は、もうそれっきりそこで見つかることはないだろうけれども、だからといってその価値が落ちるわけではない。
さて毎日メールはできないけどもばんばんするよ。まだまだメールするよ。
出来ないことも多いだろうけど出来ることをしなさいなどと言うつもりはないの。
みんな合宿だけど、やはり時の流れは合宿と他では違うもので、この五日間、寂しい思いをしていて
ばらの散るような気持ちというのが最もわかりやすい。
そうしたところ君からの手紙が来て驚いた。本当にできるところがあるとはあんまり思わなかった。
日本センターのようなところなのでしょうね。たのしくやっていることはいいけれど実際には、やはりいやなことはいやと、嫌いなこと、不愉快なことにについて嘘を言ってはいけないような気がする。他人に言うか言わないかはどうでもよくて自分をだますのは、そんなだましかたはよくありませんし適切でもありません。と私は言いたい。
なぜかとあなたが問うでしょうか?私はそれに答えます誠実さをもって。そうすることであなたの肌触りとも言うべき感覚は言葉のプレッシャー嘘の重圧に押し騙されて、せっかくの体験をゆがめてしまいます。それは残念なことです。自分を騙すのは人生のいかなるときでも出来ますが、その下を流れる人生の一部である生活は絶えず違うものでまた戻らないからです。どうか、辛いことを辛いと悲しいことを悲しいとそしてこれが大事なことですが嬉しいこと喜びのことは少し差し引いて(人生の中でも特異な体験をかけがえのないものとしようとして仕方のない精神が働くことはある程度は仕方ないのです)いくことを提案します。
まとめるとそうですね、【はしゃぎすぎず、美化しすぎず】なのです。長い言葉がつむがれるのは私の生理で、やはり翻訳調というものは私の心にぴったりだと思います。その風変わりなところと、何より直截なところが。
またあなたに会いたいと思っていますが、心のもやもやはおおよそ45分の早歩きで吹き飛ばせるので心配をしなくとも結構です。こうやって離れている間、まるで毎日の睡眠が死への予行演習といったあの日本語のマエストロに引き比べながら、あなたと別れてからの人生を練習しているのかもしれません。あなたはロシアでの夏、そしてわたしにはロシアのあなたを思う夏があります。この夏は2007年の夏はそんな夏であるのでしょう。