恋愛遍歴を通した人格形成的なことであれば、まだ抵抗ないんだけど
「何人」だとか「あんな事やこんな事(主に性的な意味で)」
そういうのは恋人として辛い。
ヤリマンさんのこと見てると、たぶん彼女自身の中でポリシーはあるんだと思う。ただ、説明がよくわかんないよ。どんぶりに例えるのより、もっとわかりにくい。
その反面、悪い人ではないんだろうな、というのは伝わってくる。良くわからないけど悪い人ではないようだ=なんだろう?=いい人っていうことにはならないしな。
とりあえず感じるのは、そばにいたら困るだろうなぁっていうことかな。否応なく巻き込まれそうなんだもんよ。
妻? 別の話と混ざってないか?
それはさておき、俺も聞いて欲しいタイプだなぁ。嫌がる人に無理に聞かせようとは思わないけど。自分の人格形成とか、価値観とかを伝えるのにかなり適してるんだよね、過去の彼女遍歴って。嫌がる人に聞かせないというより、それをするっと聞いてくれるような人が好みなのかも。そういう女性は多分間違っても「他のあの子と較べられない私の何かを好きになって(意訳)」みたいなこと言い出さなさそうだし。
釣られすぎ
自分のブログで表示されると、クリックしたい衝動に駆られるもの。
リクルートのドラマ仕立ての動画広告とかすっごい見たいんだけど、
でももしオダギリジョーと「LIFE CARD」とか表示されてたらクリックしちゃうかも。
「アドセンス特別版」とかいってね。
自分の今の考えが形成されるもとの経験になってたりするから知ってほしいんだよなぁ。
いやがる人も多いから聞かれなければ話さないようにはしてるけど、聞いて欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20070410112339
自分は話したくないな。
なんかのきっかけでポロっと話す事はあってもそれメインで話す事はない。
どうでもいいもの。
http://anond.hatelabo.jp/20070410111058
もう豆腐になって幾日経っただろうか。いや、いつか俺は人間だったのだろうか。
増田は大豆の腐った臭いを嗅いで、フンとを鼻を鳴らしながら黴で毒々しくなった肌を揺らした。
いくら考えても俺は豆腐なのだ。腐りきった汚い豆腐だ。白く美しい箇所が無くなった豆腐なのだ。
腐臭に顔をしかめながら、哀れんだ視線をそそぐ友人たちを見て増田は語りかけた。
「なぁ!この黴の緑色は春の色だと思うだろう?」
(豆腐 114p)
どうして欲しいの?
あんまり愉快じゃないよ、聞いてる側の意見としては・・・
嫉妬じゃないけど、いや嫉妬かな?
でも、必要のない情報まで知りたくないって思わない?
私だけ?
私の人生において豆腐という存在は真白き立方体という以上の意味を持って私の頼りない自我の上に重く圧し掛かっている。それはあたかも神から下された啓示のごとく、あるいは母親の乳房のごとく、避くことかなわぬ圧力となって私を憔悴させる。あの淡白な味わいのどこにあれほどの怨念が込められているのだろうか。豆腐の何が私を畏怖させるのだろうか。私には分からない。分からないながらも私は豆腐を食べる。おそろしいのである。どす黒い醤油に身を浸したあの白い怪物がおそろしいのである。ただの大豆の塊が圧倒的な質量を持って私に迫り、私はただただ食べることしかできない。豆腐とはなんだ、神か、悪魔か。いやおそらくはちっぽけな人間であるのだ。豆腐とは己が身を写す鏡にすぎないのだ。おお、豆腐よ、その絹織物にも似た柔肌を
もう無理。
俺、今、27才。
普通に会社へ勤めて彼女もいるし、結婚も考えてる年齢。趣味は週末にフットサルをするような生活。
実家に同居している兄、35歳。
最近、兄貴の部屋から夜中に「ぴったんぴったん」とかいう女性ボーカルの音楽が聞こえてきて、ドスドスという音が聞こえる。
なんか、ダンスしてるみたい。
あの運動オンチの兄貴がダンスなんぞするはずもないのだが・・。一度見に行こうと思ってノックしたが絶対にピタっと止まって音が止む。
はぁはぁと息を切らせて兄貴が出てくる。「ナニしてんの?」と聞くと「な・なんでもない、出て行ってくれ」と言う。
そしてドアを閉めて部屋を見せてくれない。
俺は兄が変な宗教にハマってないか
心配なんだが・・
実家で持て余していた佃煮をもらってきて、レンジでチンした豆腐のうえに一つまみ置き、あとはなにもつけずに食す。
豆腐の甘みと、佃煮の旨み、それぞれの味を素朴に楽しめる。
なによりどうやって消費したらいいかわからなかった佃煮類の行き先が見つかったのがありがたい。
長期的な視点があれば「自分さえよければそれでいい」のかもしれない。単純に自分さえよければと思って利己的な振舞ばかりでは後になってしっぺ返しが来るし。長期的な視点を持つよりは「他人のためが自分のため」と思ったほうが楽かもしれない。
相手が傷ついても、まずは自分が大切。
ごめんなさいとは思うけど、だからといって自分の気持ちを我慢したりはできない。
満たされないと、ごめんなさいなんて言えないし思えない。
文語調でひたすら長文でレトリックやら比喩やらをやたらめったら取り入れて最後に人生に結びつけてしまうのなんてどうだろうか。
オレには書けないけど。