このエントリーをブクマして「(Φ皿Φ)クワ!」タグを付けると、あなたに暗黒が訪れます。
本当DEATH。
逆に言うと「それくらいならしりとりにブクマする」なんて言って暗黒ブクマを拒むような、心のピュアな人間には愛がおとずれます。
これも本当DEATH。
核は万年、CO2は千年、悪ものはどっち?
別に舞台がどこだろうと共感できるものは共感できるし、無理なものは無理。そもそも涼宮ハルヒの憂鬱は共感できたからウケたわけじゃないし。
何かと比べないと話が出来ないのであれば、かみちゅのほうが比較対象として余程マシ。
まなびストレート!がいまいちだったのは、後半、キャラクターの個性をまったく生かせなかったのと、説明不足で山場が山場に見えず、最後まで平坦にすーっと素通りしてしまったから。共感を得ることで支持を受けたいのだったら、もっと丁寧に書くべきだった。
おれは昔からのドコモユーザだけど、携帯番号から英字10文字に変えて以来、来たのは2度か3度だけだ。それも、初期の規制がほぼなかったと思われる頃の。
したがって、今はどこかから入手したアドレスに対し送ってると考えてる、
今日ポストを見たら、「革新都政をつくる会」東京都知事選挙法定ビラ1号とやらが入ってたんだ。
このビラ、各候補の名前を一切出さず、例えば現東京都知事とかって言う役職名でその政策をずいぶん批判してる。
しかしだ。この元足立区長・都知事候補についても名前が出ていない。
本当に選挙法定ビラだったらなんで名前が出せないんだろう?
これだけで不信感を非常に強く感じる。名前を出せないのは選挙法に引っかかるからとしか思えない。
誰かこのビラの合法性について詳しい人教えてください。
追記
このビラの中の一文を引用する。ある候補者の政党との関係についてこう書いている。
それより女の子が男の子に箸orスプーンを差し出して「あーん」って食べさせてあげるやつの名前を決めたほうがいいと思った。
暫定的にはそのまま「あーん」と呼ばれているけど、いくらなんでも「あーん」は間抜けすぎる。
もっとスマートな呼び名が必要だ。
まんま「根っこ」でいいんじゃね?
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734
こんなとこでネタバレすんな('A`)
まなびがハルヒを意識して作られたかどうかはよくわからないし、今期の中ではトップクラスの出来だったとは思うので別に失敗だとも思わないけど、ただ学美のやってることが「男子が合唱にちゃんと参加してくれませーん。しっかり歌ってくださーい。」に見えてしまって、どうも楽しみきれなかった感は否めなかった。いや、最終回まだ見てないんだけどね。
怒りと憎しみのオーラを放つブログが、和製ホラー映画の幽霊屋敷に見える。寒々しい。
そういうブログの管理者が、情熱的に一日中パソコンに張り付いて、コメント削除修正したり、記事の細かい部分を昼となく夜となくせっせとせっせと小豆に書き直してるい姿って。。。。(笑
殺したい奴帳を書いて不特定多数に公開するのって、そんなに楽しいのかな?
って思いながら、君子危うきに近寄らず、傍観を決め込むのみ。
http://anond.hatelabo.jp/20070326170845 にあえて釣られてまじめに書いてみる。
べつに必死なわけじゃないが、オレの場合、「まなび」ファンというより、金月龍之介ファンとして「まなび」を観て楽しんでいる。
金月君が「ジサツのための101の方法」を書いてた頃からのファンだから、もうだいぶ長いことオレは彼の脚本を読んできているが、「まなび」は彼の手がけたシリーズの中では秀作だと思う。
金月君の脚本はディテールにこだわる部分があって、わかりやすさとわかりにくさの両極をいったり来たりしているようなところもあるので、それがイヤな人はとてもイヤだと思う。けれどオレはそれが好きだ。
会話がまどろっこしいとか、ストーリーの進行ペースが遅いという批判もあったりするけど、それがイイと思い始めるとそれがたまらない面白さに感じる。
昔、「毎日が学園祭の前日」を描いたアニメーション映画があった。
言わずと知れた押井守の「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」(1984年/東宝)だ。
「まなび」は「ビューティフル・ドリーマー」のように学園祭の前日にリセットされるというわけではない。だが、「学園祭の前日」までの日常の描写が続くという意味では、かつてアニメ界で話題になった「毎日が学園祭の前日」というテーマに再度取り組んでいるという解釈もできると思う。
学園祭という「ハレ」の日があって、学園祭が来ないという現実。
「ビューティフル・ドリーマー」のラムたちも、「まなび」のまなみたちも、学園祭が来ることを期待しつつも、学園祭を迎えることができないという困難に直面する。
状況の困難さという点では、「ビューティフル・ドリーマー」と「まなび」には共通点がある。
しかし、そういう状況の困難さを乗り越えていく方法は、「ビューティフル・ドリーマー」と「まなび」は対照的だ。
「ビューティフル・ドリーマー」には“無邪気”という状況の困難さを生み出すわかりやすい「敵」がいた。押井の映画では、“無邪気”という見える敵と対峙し、対決することによって、「絶望的な日常の連続」への変化が提示された。「他人の夢なんか壊して自分の現実を生きろ」という押井のメッセージに共感する人が多いのも事実だ。
だが、「まなび」は違う。「絶望的な日常の連続」にわかりやすい「敵」はいない。たしかに校長がたちふさがりはするが、彼女は「敵」ではない。
あえて「敵」を見つけるなら、それは「絶望的な日常の連続」を受け入れて諦めきった生徒ひとりひとりの心だ。そして「絶望的な日常の連続」を受け入れた心は、姿として、形として見えているわけではない。
その心を、まなみたちは愚直なまで正面から、文字通り“ストレート”に立ち向かい、変えようとした。まなみたちは「毎日が学園祭の前日」の日常を決して受け入れたりはしない。
まなみたちは、なにか気の聞いた名セリフを吐くわけではない。たとえば「コードギアス」ルルーシュのように「全力で学園祭を勝ち取れ! 署名を集めてチェックメイトだ!」などとは決して言わない。ハルヒのように「あんたが署名を集めるのよ!」とツンケンな態度をとるわけでもない。そういうのが楽しいというのはわかるし、そういう楽しみ方が間違っているというわけではない。
だが、まなみたちのまぬけなぐらい愚直な姿勢に、彼女たちの行動に、その表現に、オレは心打たれる。
たぶん、金月君以外の脚本家が「まなび」を書いたら、1クールを3、4話ぐらいに圧縮して、残りの話数で面白いエピソードを書くと思う。
逆に言うと、それだけ「まなび」は、他のアニメと比べてスローペースでのんびりストーリーが進んでいる。「ちんたらどうでもいいことで動画枚数使ってるんじゃねーよ」などと不満に思う人もいると思う。
たとえば「コードギアス」みたいに次から次へと物語が展開して緊張感が持続するようなアニメが好きな人が「まなび」を観たら、早い時期に結末が見えてしまって予定調和を感じたり、退屈だと感じるかもしれない。
それは仕方が無い評価だし、その評価が間違っているというわけではない。
だが、そういうスローペースの、のんびりしたアニメが楽しいと感じ、物語の展開と結末よりも過程のディテールを楽しみたいと思うアニメファンもいる。
http://www.ufotable.com/manabi/
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー -- キネマ旬報DB
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=17402
金月龍之介(業務報告)
荒らしをスルーできない人々の、荒らしに対するコテハン叩きは、結局、荒らしと同類なのか?
荒らし=犯罪者って短絡的過ぎないか?荒らし対策の名の元に、法令違反スレスレのことやる奴ってなんなんやろ?煽りに耐性のない人々よ、そんな危ないコメント欄なんか不特定多数に公開するなって。
あまりの手軽さに驚愕する
鉄の中華鍋がめんどくさい人はテフロン加工のフライパンで十分だと思うんですが
ちゃんと火の管理をしてれば後始末が楽(お湯で洗うだけ間違ってもたわしでこすらないように)で
他の料理に応用が利くのは大きいかなと
食器を落とすかぶつけるかして、コップの口が欠けたの気づかないまま洗って、
親指と人差し指の間に違和感を覚えつつごしごし・・・・あれ、なんか赤いよ?
水を使っていると感覚が鈍るT_T