2007年03月01日の日記

2007-03-01

エセ科学の蔓延にはほとほと手を焼いている理系人間なんだが

http://anond.hatelabo.jp/20070301213129

大学に入ってからこっち、好きになる人好きになる人、O型。

かれこれ6人くらい。

O型は日本人の全人口の3割らしいから、その確率は0.3^6=0.07%・・・。

なんていうか、全肯定はしないが、俺にはどうしても全否定は出来ない。

結局、今本当に「円周率=3」と教えているのか

ゆとり教育のあだ花として知られる、「円周率=3」という話。

この件については、完全にマスコミ誤報だったという話があったはずなんだが、どうなったろう。

旧課程からあった、「円周率を3とみて、概算しましょう」的なセクションがあったのを見て、マスコミが「『円周率=3』と教えている!!」と煽っていた、というような経緯だったような記憶があるのだが。

事実はどうなのだろう。

蛇足・一年間の「友達」期間のこと

anond:20070301153714

「あやまちのないお泊り」ですが、今おもえばこのころは友達以上恋人未満、みたいな時期でした。

振られて(と、私はおもっていた)春から秋にかけては、美術館に彼のほうから頻繁に誘ってきて、よくわからないまま「どうにも彼女になるのが難しいなら、一番仲のいい女友達の座をねらうしか…?」とか諦めていたのです。でもある時、いっしょにいて「抱きつきたいなぁ」という衝動が抑えられず、一度だけふざけた振りをして彼にとびついたら、彼は少し考えたあと、「…。べつに○○さんがどうとかじゃなくて、他人にいきなり触られるのは慣れてなくてビックリするから、そういうときは一度声をかけてからさわってもらえる?」とかなんとか断られて…がーんがーーーーんががががーん…。恋人じゃないから手はつながない!って、自分でもその辺はけじめをつけようと考えていたけれど、一声かけて、はさすがにショックでした。

秋になり、やっぱり親しく友達でいるのもつらくなってきたころでした。「いっそ完全に振ってもらったほうが楽じゃわぃーー(T^T)」と、気がついたら喫茶店

  1. すっぱりNO:永遠にお友達
  2. ひかえめなYES:気長に待ってて☆

どっちか選んでくれ!と迫っていました。捨て身の作戦で迷惑千万ですが、なんとか「方向的にはYESの方角へ牛歩で」とのことでした。その返事をもらい、だいぶ心に余裕ができました。

そんななかでの「お泊り」です。

お友達として泊まるという感覚が理解できない。

anond:20070301182300

…それってどういう意味? ひかえめとはいえYESの方角ということは、や、やはりあんな展開を想定して臨まなければいけないのか、といろいろ考え込みました(お泊りの予定をたててから、お泊りの夜まで数日あった)。ひとりで悶々としててもしょうがないし、お互いの思惑がすれ違うのが一番キツイとおもった末、「(恋人がいちゃこらするお泊りじゃなくて、SEXはしない前提の)友達のお泊り、っていうことでいいね?」とふたりで「しない」約束をしたのでした。おかげで当日は、取り越し苦労などしなくてすんで、ちょっとドキドキしながら静かな夜がすごせました。こういうのも悪くはないなー、心の余裕って素敵だね☆とおもいました。

…ま、そんなわけで厳密に「友達のお泊り」だったわけじゃないんですよね。でも二人の間では「まだ」友達のお泊り。私も彼氏も、人生恋人いない期間がすんごく長かったので、そんな甘酸っぱい中学生みたいな空気を、すーはーしたよ。すーはーはー。

そういえば最近になって、「さわる前に一声かけて、っていわれてショックだった」と告白したら、「いやー、○○がそういう好意をもって触れてきたのはわかてたから、かえって自分がビクッ!とかしちゃうと、○○がショック受けるかな、とおもって(ビクッとしないために)"一声かけて"っていったんだ」と説明されたのだった。そっちかー、そういう理由かよー!なんだよ、もう。ショック受けて損した orz

まったりと待ちつつも、いろいろあった一年。友達として長く付き合った分、付き合い始めてから「こんなはずじゃ」っていうことは少なかったかな? とはいえ、付き合う前には知らなかった相手の一面を、いまでもいろいろ発見することがあります。もう待つのもなれたので、あと3年ぐらいは平気で待てそうな気がしますわ。もうすぐ三十路だけどな。

彼は、私のことを「鉄砲玉のように、どっかに飛んでいって忘れた頃に戻ってくる感じじゃないかと、ハラハラする」とかいいます。つか、無鉄砲? 風船みたい? 風まかせ?猪突猛進なのは、友達づきあいの一年で充分にわかってくれてるよね! ゆるせ。

http://anond.hatelabo.jp/20070301221138

「ゆとり」云々を含めてリアルネット問わず、巷間の教育談義の大半はお話にならないレベル

何故なら、結局は、言ってることが自分の生き方に対する無条件の肯定でしかないから。

安易にゆとり云々とほざく奴は、最低限、中曽根臨教審でどういう議論があったかくらいは抑えておくべき。

社会に対してどのような貢献をしたかが問われているはずなのに、頭がいいかどうかなんて無関係でしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20070301202148

頭がいいのに貢献できないのはなぜという話なのでは?

目的地は自分の性能でいけるところにすればいい。頭のよさとか能力について話すのも重要と思う。

宋言えば

宋氏の経済の話もかなり滅茶苦茶だが、経営での成功体験がある人は自分規格で何でも上手く行く自信がありすぎるのかね。

http://anond.hatelabo.jp/20070301204543

経済学に詳しい人からは経済もおかしいとよく言われてるよね。

法律関連がおかしく見えるということはあなたは法律に詳しい人?

花粉ひどすぎるよ・・・

くしゃみやったらでかい人っているよね

http://anond.hatelabo.jp/20070301205600

なんとなく宋さんの話は、はてなに多い感じの自分の腕一本でいろんな事をしてきた、純粋正義感を持ったプログラマ系の人と波長があるんだろうな、と言う感じはする。

うまく言えないけど、感じとして。

anond:20070301212308

そんな私の現時点での考え。

こう言える人は好きだ。

うまいなー

http://anond.hatelabo.jp/20070301192315

こういう「そこはかとないブラック」風味の答えって、センスがないと書けない。

すなわちオレには無理orz。

気をつけよう 書いたのホントに 女の子

匿名の 背後に潜む ネカマホモ

            (詠み人知らず)

バッティングセンターにて

手ならしに90km/hゲージを選択したところ、ボールが届かない・・・ベース手前で着地。

店員に言ってゲージを変更してもらったけど、アーム式だからなのか?

萌え

http://anond.hatelabo.jp/20070301194700

なんか恥じらいがちな言葉にそそられてしまう。

そんな俺は非モテなので多分気持ち悪いんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20070301214041

みのさんid:kanose」?

あ、それいいね。

ネットに棲む男」って感じ?

はてブ朝ズバ!で、はてダが思いっきりテレビっていうか。

マット死事件もそうだけど

http://anond.hatelabo.jp/20070301103901

マット死事件も大きく分類すれば、ルワンダでの虐殺と同じだと思うけど

なんというか、虐殺までいたってない時点で日本とはまた違う現状じゃないかなと思う。

増田の長文=思いっきり生電話」説

昼下がりにみのもんたTV見てて思ったんだけど、増田の長文人生相談(?)系って「思いっきり生電話」だっけ? あの、10年以上前から続いてるコーナーあるよね、あれの若年層版なんじゃないかな、と思った。

まあ、ここに御法川法男はいないわけだが。

申し訳ございませんがテストさせていただきます

ドキドキ。

ピップ

プライバシー・インフォメーション・プロテクションの頭文字をとったPIPから。

http://anond.hatelabo.jp/20070301132022

できる営業職だった父の背中を見て育った。

学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。

それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。

その後、母が生命保険退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲しい、という甘い考えで入った法学部勉強は、軟弱で夢想癖のある文学少年には想像以上の苦痛だった。そして、情けないことに、胃に穴を空け、単位を大幅に落とし、留年してしまう。

なんとか四年次まで進級するものの、就職活動でまた胃潰瘍になる。入院。今度は留年こそしなかったものの、就職浪人になる。ただでさえ社交性がなく、新卒の下駄でぎりぎり内定が出るか出ないかの身。カウンセリングや話し方講座なども受けてみるものの、大した影響はなく、どうにも上手く行かない日々。ようやく出た内定は、小さな会社の営業職だった。

それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。

そんな私の現時点での考え。

不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。

努力しても、変えられないものが、ある。

母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。

「その考えは既出だ」という意見無意味・無価値だ

誰かがある考えを表明した際、

「そんな考えは○○がずっと前から言ってることと同じだよー。何をいまさら、さも自分が最初に思いついた新しい考えであるかのように発言しちゃってんの?カッコ悪。もっと勉強してこいや。」

というような反応をする人々がいる。しかし、カッコ悪いのは彼らの方である。

そもそも、これまでに存在した人類の中で誰一人として想像だにしなかった考えなど、存在するのだろうか。

これまでに人類によって書かれた文字すべての中に、その片鱗さえも見ることの出来ない思想など、存在するのだろうか。

人は何かを完全な無から生み出すことなど出来はしない。どんなに新しい考えであっても、それは既存の考えの組み合わせである。しかし、既存の考えの成分をほんの少し変えただけで、非常に有益な考えになる場合がある。

また、同じ考えであっても、説明の仕方や言葉の使い方が変われば、人によって理解のされ方が変わってくる。

そしてまた、全ての人に理解されている考え、というものも存在しない。

つまり、どんな新しい考えであっても古い考えのマイナーチェンジに過ぎないのであり、しかしまたどんなマイナーチェンジであっても、それなりの意味はあるのである。

例え何千年も前から何度も何度も様々な人によって語られてきた考えであっても、今また新たにその人物によってその人物なりの言葉で表現された考えには、意味があるのである。

なぜなら、その人が表現せねばその考えを理解出来なかった人々がいるからである。

従って、「その考えは既出だ」という意見無意味・無価値となるのである。なぜなら、すべての考えは既出で当然だからである。そんな当たり前の事は、わざわざ言わなくともよいのである。もし自分がそれに類似・関連する情報を知っているなら、ただそれを紹介すれば良いのである。関連情報の紹介は、有益な発言である。それなのに、その考えが自分にとって既出であるという事実をもって、表現者の愚かさを示そうとしたり、自己の博識さを示そうとしたり、その表現によって初めてその考えを知ることになった人の不知をあざ笑おうとしたりする態度が、小生には残念なのである。

すべてを知っている人間はいないし、すべての人間に知られている考えも存在しない。

よって、既存の考えを新しい方法で、特に、これまでその考えを知らなかった人々に理解しやすいような分かりやすい方法で表現・発表するということは、極めて有意義な行為なのである。

ある日常中の非日常

残業中に、資料を探しに普段は誰も行かないキャビネット棚に行ったら、直属の上司(妻子あり)と、俺が関心を持ってた同期の子がいた。

その子は前かがみにしてたけど、胸を開けてたみたい。

非常に気まずい。

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