2007-03-01

「その考えは既出だ」という意見無意味・無価値だ

誰かがある考えを表明した際、

「そんな考えは○○がずっと前から言ってることと同じだよー。何をいまさら、さも自分が最初に思いついた新しい考えであるかのように発言しちゃってんの?カッコ悪。もっと勉強してこいや。」

というような反応をする人々がいる。しかし、カッコ悪いのは彼らの方である。

そもそも、これまでに存在した人類の中で誰一人として想像だにしなかった考えなど、存在するのだろうか。

これまでに人類によって書かれた文字すべての中に、その片鱗さえも見ることの出来ない思想など、存在するのだろうか。

人は何かを完全な無から生み出すことなど出来はしない。どんなに新しい考えであっても、それは既存の考えの組み合わせである。しかし、既存の考えの成分をほんの少し変えただけで、非常に有益な考えになる場合がある。

また、同じ考えであっても、説明の仕方や言葉の使い方が変われば、人によって理解のされ方が変わってくる。

そしてまた、全ての人に理解されている考え、というものも存在しない。

つまり、どんな新しい考えであっても古い考えのマイナーチェンジに過ぎないのであり、しかしまたどんなマイナーチェンジであっても、それなりの意味はあるのである。

例え何千年も前から何度も何度も様々な人によって語られてきた考えであっても、今また新たにその人物によってその人物なりの言葉で表現された考えには、意味があるのである。

なぜなら、その人が表現せねばその考えを理解出来なかった人々がいるからである。

従って、「その考えは既出だ」という意見無意味・無価値となるのである。なぜなら、すべての考えは既出で当然だからである。そんな当たり前の事は、わざわざ言わなくともよいのである。もし自分がそれに類似・関連する情報を知っているなら、ただそれを紹介すれば良いのである。関連情報の紹介は、有益な発言である。それなのに、その考えが自分にとって既出であるという事実をもって、表現者の愚かさを示そうとしたり、自己の博識さを示そうとしたり、その表現によって初めてその考えを知ることになった人の不知をあざ笑おうとしたりする態度が、小生には残念なのである。

すべてを知っている人間はいないし、すべての人間に知られている考えも存在しない。

よって、既存の考えを新しい方法で、特に、これまでその考えを知らなかった人々に理解しやすいような分かりやすい方法で表現・発表するということは、極めて有意義な行為なのである。

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