2023-01-01

魔術的思考によって正解にたどり着くよりは、

仮説と推論によって誤りにたどり着くほうが、

誤りとしては少ない。

誤りを指摘できるからだ。

魔術的思考は、その正当性事実に基づく根拠に明け渡しておらず、その論理非難されると、人格攻撃を受けたように感じてしまう。


私が誰かの信念について、妥当な仮説または推論なしに、Aを信じていることを指摘したとしても、

私がAの否定を信じているわけではない。

私はその推論技法問題があると言っているのであって、Aの否定立場からAの立場を論難しているわけではない。


宇宙人はいる」という推論に疑問点があることが指摘されたとき

「なら、あなた宇宙人はいないとおっしゃるんですね?」と返すのは飛躍した論理であり、誤りである


宇宙人はいる」という帰結妥当な仮説と推論がないなら、それを(妥当さを保ったまま)信じることはできないし、

その否定宇宙人はいない」という帰結妥当な仮説と推論がないなら、それも(妥当に)信じることはできない(し、Aの推論に問題があることを指摘することが即、Aの否定の信念を持つことにはならない)。

どちらも信じる理由がないなら、片方を否定しても、もう片方を信じることにはならない。

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