何でもwhataboutismと言えば良いってものじゃないよ。
たとえば今回の件で薬物神父の件を聞くことは、相手の思考の一貫性を問う行為になっているが、これは意味のあること。仮にここで首尾一貫していない、合理性のない相手だということが判明すれば、それだけでこのような非合理な主体には公金を投入する事業の実施主体として任せられないといった主張をする余地が出てくる。またもっと単純に、相手に合理性がないと分かれば、そこへの対応の仕方も変わってこよう。かように、相手の首尾一貫性を確認する質問には意味があるのであって、何でもwhataboutismだと言っていたら良いってものじゃないんだよ。
そもそもwhataboutismって卑怯で議論を妨げるかもしれないけど すべての側のよくないところがテーブルに並べられるわけだから、ある一面においては大事なことでもあるのよね
トーンポリシングとやらにしてもそうだが、だいたいこの手の横文字はドヤ顔で持ち出してきた側も結局同じことやってることがバレるので空しい