2021-06-23

そして、私たちは祷るでしょう。始めに沈黙、そして最後には涙を拭いながら。私たちが失ったことの重大さ、誠実をつらぬくこのできなかった勇気、失われた交友の喜び、防疫作業に対する不信、そして実現してしまった結果を哀しむでしょう。そして、私たち自身を責めるでしょう。なぜなら、私たちが命を救えなかった患者は参加できないからです。その名前は多すぎてわからいからです。助けられた患者を救えなかったことが私たちの結果だからです。そして、その名前はわからなくても、私たちだけは知っているのです――母親父親たちが、子ども卒業式結婚式に参加できなかったことを。子どもたちが、祖父母の顔を見ることができなかったことを。取れたはずの休暇が取れず、終えられたはずの仕事が終えられず、読まれたはずの本が読まれず、聴かれたはずの交響曲が聴かれず、そして私たちの支持がなければ手入れをされていた庭が、雑草が生い茂っているだけの庭になってしまたことを。

  • …しかし増田の祈りは… ……深い断絶の果て… ………人と人の果てない距離の先に…… …消えていったのでした……

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