通常であれば、何かインターネットサービスに書き込みを行う際にはアカウトを必要とし、
そのアカウントが人格を担う。その人格を用いて書き込みを行うと解釈する。
なので書き込みは仮想空間にあるアカウントが持つ人格が行っているとなる。
しかし、匿名(のwebサービス)によってアカウント(人格)を持たない(他者から不可視になっている)私達は
誰が書き込んでいるのか?当然、私である。この書き込み自身が私となるしかない。
別にこれはアカウント(人格)があっても、そのアカウント(人格)が否定されれば同じ結果となるはずだ。
ここでの違いは、些細なものだ。アカウント(人格)が否定されるか、書き込みが否定されるかだ。
私が分からないのは、アカウント(人格)を持つ人間が好きなものを書き込んで、それを否定されること、
アカウント(人格)を持たない人間が好きなものを書き込んで、それを否定されること、この二つに違いが現れるのかどうかだ。
私の考えが正しければ、アカウント(人格)を持たない人間の方がより人格を否定される度合いが高いと見て、ストレスの度合いも高いはずだ。