クラス内には「いじめっこ」「いじめられっこ」「傍観者」の三種類の人間がいる。
道徳の教科書では「いじめを見て見ぬふりをする人もいじめっこだ」なんて書いているけれど、馬鹿正直にいじめられっこを
助けたら次の日からその人もいじめられることになるだろう。
それを分かっているから多くの人間は傍観者になる。
傍観者がいじめられることはあまりない。運が悪くていじめにあうこともあるけど、稀である。
いじめられっ子は大体学生時代にドロップアウトしてしまう。
勿論しぶとく生き残る人もいるけど、社会に出た後も生き残れたいじめられっこは少数だろう。
いじめっこもいじめられっこと似た要素を持つ人が多く、いじめっこがその後いじめられたり、何かで躓いてしまうことがある。
いじめられっこよりかは成功率は高い。
社会に出るまで生き残れた人はほとんど傍観者だった人だろう。
世の中はそういう風にできているんだろう。
Permalink | 記事への反応(1) | 15:27
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傍観するのが正しい。正義感による行動なんて自己満足の域をでないしね 社会の秩序が保たれているのは、大多数の傍観者が存在するおかげなのだから たとえば、フィリピンが台風で...
よく困っている人を見殺しにするって言うと「なんてひどい!」と批難の大合唱が始まるけど、 じゃあおまえら俺みたいなキモオタデブのおっさんに親切にされたいの? と。