走りながらなら、願い事もわかるかもしれないと淡い期待を抱きながら軽く流してた。
リアルタイム検索やニコ動で、『七夕』で検索してどんなことを普通の人たちは願ったのか
『ずっと二人でいられますように』『絵が上手くなれますように』『高校受験合格!』
年齢が一回り以上離れた名前も知らない学生等の言葉に、やるせない気持ちをいだいた。
シンプルな願いが羨ましい。
歳を取るたびに、自分の願いのスケールは説明できるほど小さくなって、
でも段々口に出すのも憚られるようなものになっていく。
あの学生の頃のひたむきさが、自分にもう一度降りて来ないかな。
そんなことを考えていたら、いつの間にか家に戻ってた。肩が上がったばてばての格好で。
どっちみち、願うべき笹は今朝流してしまったのだ。
何も書き込めなかった心の短冊を今年もまた持て余してる。
なんだろうか、この、「無駄に達筆」感…