さまざまな問題意識を子供みたいに産んで育てて、それでその子が最終的にどうなるかってことを考えたら
生活も、やるべきことも、考えるべきこともほとんど雲散霧消してしまったのだ。
手元に残ったのは何かよく分からない個別的な、理解しがたい、気持ちの悪い、細かな肉片のようなものばかり。
どこか自分の外に吐き捨てるとしても、なるべく目立たない身近な場所に埋めて隠しておかなければ
後で聡明な誰かにその肉片を掘り起こされて、いかにも正しそうな難癖をつけられてしまう。
その誰かは自分かもしれない。
自分で自分の肉片の埋めた場所を無意識に掘り起こしてしまうことももしかしたらあるかもしれない。
そして、以前よりさらにぐちゃぐちゃに荒らされたそれを見つけて、二度とその周辺に近付けないほどの恐怖を感じてしまう
ということもありうる。
とにかく、今即刻私が身に付けなければならぬ思想は、「どういう形であれ私は変わらなければならない」という切迫感溢れる意識を含むものだ。
今全く興味を見いだせないといって捨てたたくさんの肉片も、いつか醜い欲望に駆られて利用したくなる日が、もしかしたら来るかもしれないのだから。
こうやって、ね。
言葉を並べられるというのも非常に不可思議で、相当自分に酔ってなければできない営みであるように思う。
けれどその論理を見えなくするくらいの肉片が、今日は落ち葉みたいに街にごろごろ転がっているように思えるから
とりあえず外出て、それらを繋げようと齷齪しながら絡まって、遊んでみようと思う。
生きてみようと思う。
そんなに怖がらなくても大丈夫。