これで思ったこと。過剰包装が文字通りに「過剰に包装された」ものだとすれば、槍玉にあがっている例は空間的なムダがありすぎる「馬鹿馬鹿しい」梱包がなされているということであって過剰な包装ではない。個人的には、アマゾンの包装は通販商品の送り方としては最小限度に簡略なのでよく思わない者もいるかもしれない、とさえ思う。とはいえ個別発送の結果消費された包装資源はたしかにムダに思える。どこまで個別の商品をまとめることができるか、というのは今のところかなり難易度の高い「人間的」なタスクであるのかも知れない。
別の話。アマゾンに大きな問題は感じないが、書店やCD店などリアルな小売店の袋が困る。もともとの書籍カバーさえ過剰なものに思えてしまうので常に「カバーなし、袋もなしで」と言う。すると決まって「店内ではレシートと一緒におもち下さい」といわれる。つまりこういう小売の包装はサービスを兼ねた (あるいは装った) セキュリティ上の施策に過ぎないということが分かる。こちらもそれは分かるので、相手が見ている前で自分のかばんに入れるとか、レシートを分かるように挟んで持つなどしているが、だとすればもっと環境コストの低い方策がないものかと思う。
アマゾンのペラペラなダンボールよりもああいうビニール袋のコストや書籍にカバーをとりつける時間的・技術的コストなどの方がよほど環境負荷は高い気がする。そういう御仕着せの「丁寧さ」が「サービスの質」に留保なく直結すると考えられているとしたら微妙である。スーパーの「マイバッグ」とか、よい傾向はあるのだけれど。