2010-02-16

小さい頃わたしの実の父親はまだ歩き初めでまだ足元がおぼつかないわたしがよろけて足につかもろうものなら蹴飛ばして払いのけるような父親だった。「わたしのために」離婚したあとも母親には頭から水をかけられる、肌着で外に出される、玄関でめった打ちにされる とにかく暴力を振るわれたけど自分が悪いからだと思って耐えた。高校卒業で上京し実家とあまり関わりを持たなくなったので表向きはどうにか良好な関係を保ってきた。自分子どもが産まれて里帰り出産で2ヶ月ほど実家に世話になったとき産まれたばかりの子どもに母はとにかく「泣かすな」「泣くと困る」といわれつづけた。出産直後なんとなく不安になったわたしが涙をこぼしたとき母は「おまえは母親なんかになれない」と罵倒されて泣くのをがまんしてとにかく微笑むようにした。子どもが大きくなるまで泣かしてはいけないという思いの中で必死に泣かないように泣く材料を排除することに努めてきたけど子どもが7歳の今、理由がわからず子どもが泣くときがある。そのとき恐怖といらだちで怒鳴って子どもを押さえつけて泣かさないようにするしか方法がわからない。よく「子どもは泣くものだから」「ほっといたら」「だきしめてみる」そんな余裕はない。子ども暴力を振るわないので精一杯。子どもと別の部屋に閉じこもったり子どもを叩きたい自分の手でじぶんの足を叩いて叩いてアザだらけになるまで足がパンパンに腫れるまで叩き続ける。わたしが尋常でいられなくなるから小学校の行事なんかにはまったく参加できない。ほかのおかあさんから連絡がくるとプレッシャーで絶えられなくなってお酒を飲んだり家の中でキチガイのように叫んだりする。今日はついに家事がやりたくなくて泣き叫ぶまでになった。今はお酒を飲んで鎮痛剤をたくさん飲んでどうにかまともにイスに座ってこんなことを書いていられる。家の電気もつけたくない。明るい中でいろいろなものを見たくない。わたしの中には「暴力遺伝子」がある。子どもの頃に母親に「おまえはわたし(母)に試練をあたえるために産まれてきた」と何度も言われた。今、母はそんなことおぼえていないという「怒っていったんだったらそんなこと今いうなんて執念深い」といわれた。だけど何度も言われたその言葉通りわたしは産まれてくるべきではなかったんだろうという思いは消えない。産まれるべきではなかったわたしが子どもを産んでしまった。どうしたらいいんだろう。子どもを叩きたくない。子どもと顔会わせたくない。殺したくない。じぶんの足がアザだらけになっていくたびにどうにかがまんできたと思う。きのうはひどくて右足が動かない。でも子どもは無事だった。でも大声でわめくのは止められない。

  • 暴力は親から子へ伝わって行きやすいものだけれど、あなたはそれを断ち切ることができますよ。 あなた自身を殴っても、こどもは叩かない。それは当たり前のようだけれど、とてもす...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん