勝間和代が会社の近くのムギ畑で本を書いていると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
ムギ畑はniftyのレディースフォーラムを発祥とするコミュニティで、いまだに運営者がシスオペと名乗っているところが何となく古風である。パソコン通信時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、21世紀の人間である。その中でも自己啓発ヲタが一番多い。仕事もせず一攫千金の夢ばかり見て退屈だから立っているに相違ない。
「よく書くもんだなあ」と云っている。
「コンサルや投資銀行よりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ脳力アップだね。今でもクイズ本を出すのかね。へえそうかね。私ゃまた脳トレはもう古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、勝間和代ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でもデール・カーネギーよりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男はロードバイクに乗って、人生戦略手帳を持っていた。よほどカツマーな男と見える。
勝間和代は見物人の評判には委細頓着なくキーボードを叩いている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、執筆の手を一時休めて私的なことがらを記録している。
勝間和代は瞼に人工の睫毛をつけて、ブラウスの襟をジャケットの外に出している。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで勝間和代が売れているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし勝間和代の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に書いている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは勝間和代だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただマルコム・グラッドウェルと我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの言葉の使い方を見たまえ。ウィンウィンの妙境に達している」と云った。
勝間和代は今鋭利な眉を一寸たりとも動かさず、モニターの上で手首を返すや否や上から指を打ち下した。キーボードを一息に打ち込んで、Ctrl+Sキーが押されたと思ったら、自分の顔をでかでかと表紙に載せた「断る力」がたちまち出来上がって来た。その話の展開がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に本を書いて、思うような売り上げが上がるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは一から内容を考えるんじゃない。あの通りのメソッドが世の中に流行っているのを、まねる力で焼き直して写真をつけて売り出すまでだ。起きていることはすべて正しいのだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて勝間本とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も本が書いてみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
鞄からノートパソコンを取り出して、部屋へ入って見ると、せんだってビジネス書フェアで買ったままついに読まなかった自己啓発書を、ブックオフに売るつもりで、宅本便の集荷待ちになっていた手頃な奴が、たくさん積んであった。
自分は一番売れたのを選んで、勢いよくまね始めて見たが、不幸にして、出版引き受け先は見当らなかった。その次のにも運悪く探し当てる事ができなかった。三番目のにも引き受け先はなかった。自分は積んである本を片っ端からまねて見たが、どれもこれも成功を呼ぶものはなかった。ついに凡人にはとうてい年収を10倍アップする力はないものだと悟った。それで勝間和代が今日まで売れている理由もほぼ解った。
「病的な事柄を記録しよう!」かと思ったら夢十夜か。 いろんなアプローチがあるもんだなあ。