この注意の意味するところは、別に偏見や先入観を無くそうってことじゃない。
ああ、このフレーズ……
やな響き(笑)
ボクの言う注意とは、↑のような敵対、対立を意味しない。
だって、偏見や先入観と対立する概念って、正しい物の見方だろう?
もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で
脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。
だって、頭が悪くない?アメリカは鬼畜、日本は神州。あれが悪くて、こっちは正しい。この構造。
本当の友情。正しい教育。そう、偽善の匂いがするのも、気に食わない理由の一つ。
『目からウロコが出ることと、目にウロコが入ることは、どうやって区別するんだろう』
じゃあ、ボクの言う注意は何を意味しているのか?
そして、複眼的なものの見方
この二つに、尽きるんじゃないかな。多分。
さっきの、偏見や先入観と敵対する考え方は、単眼的思考だよね。
偏見は間違っている!だもんね。視野が狭いって、うまく言ったもんだよね。
また、ボクは相互理解が平和をもたらすという考えも、極めて疑わしいと思ってる。
だって、もし、極論すればだよ?自分のすべてを他人が理解したとして、その人たちはボクを好きになってくれるかしら?
好きにならなくてもいい。憎まずにいられるだろうか?
人間という生き物の、欲望がもうちょっと少なければ、相互理解は平和をもたらすかもしれないけどね…。
知れば知るほど嫌いあう可能性だって、十分ある。
ボクはさっき、↑のフレーズを視野が狭いといった。こういうことを本気で考えてる人がいるなら
そのひとは幸せである。視野が狭いということは理解の及ぶ範囲が狭いということである。
彼は理解の困難さを理解していないがために、相手方をたやすく理解する。
理解の正体は誤解である。自分が理解していると誤解しているひとは、そうでない人より、ずっと楽天的に
相手と向き合うだろう。そのことは、少なくとも楽天的でないよりは、平和共存に近づくのかもしれない。
ただしその平和は、あくまで利害の及ばない範囲での、蜃気楼のようなものなのだが。
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追記
もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で
脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。
しかしボクは、一方が正しく一方が間違っているという論理に、驚くほど浸っている
失敗しているとき、人は自分が失敗していると気付かない。
だから、対話というものは、やはり重要ですねー
偏見や先入観の反対に、正しいってのは無いんじゃないか? 偏らない見方だから、中立。先に観念を入れないから、無心。 あたりじゃないのか。 正しい、間違ってる、というのは、 あ...