2009-01-26

ボクは差別主義者

ボクは偏見先入観に対する注意を払うべきだ。

この注意の意味するところは、別に偏見先入観を無くそうってことじゃない。

ああ、このフレーズ……

相互理解のためには偏見先入観をなくさなくてはいけない

やな響き(笑)


ボクの言う注意とは、↑のような敵対、対立を意味しない。

だって、偏見先入観と対立する概念って、正しい物の見方だろう?

もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で

脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。

だって、頭が悪くない?アメリカ鬼畜日本は神州。あれが悪くて、こっちは正しい。この構造

本当の友情。正しい教育。そう、偽善の匂いがするのも、気に食わない理由の一つ。

『目からウロコが出ることと、目にウロコが入ることは、どうやって区別するんだろう』

じゃあ、ボクの言う注意は何を意味しているのか?

まず、偏見先入観の自覚

そして、複眼的なものの見方

この二つに、尽きるんじゃないかな。多分

さっきの、偏見先入観と敵対する考え方は、単眼的思考だよね。

偏見は間違っている!だもんね。視野が狭いって、うまく言ったもんだよね。


また、ボクは相互理解が平和をもたらすという考えも、極めて疑わしいと思ってる。

だって、もし、極論すればだよ?自分のすべてを他人が理解したとして、その人たちはボクを好きになってくれるかしら?

好きにならなくてもいい。憎まずにいられるだろうか?

人間という生き物の、欲望がもうちょっと少なければ、相互理解は平和をもたらすかもしれないけどね…。

知れば知るほど嫌いあう可能性だって、十分ある。


ボクはさっき、↑のフレーズ視野が狭いといった。こういうことを本気で考えてる人がいるなら

そのひとは幸せである。視野が狭いということは理解の及ぶ範囲が狭いということである。

彼は理解の困難さを理解していないがために、相手方をたやすく理解する。

理解の正体は誤解である。自分が理解していると誤解しているひとは、そうでない人より、ずっと楽天的

相手と向き合うだろう。そのことは、少なくとも楽天的でないよりは、平和共存に近づくのかもしれない。

ただしその平和は、あくまで利害の及ばない範囲での、蜃気楼のようなものなのだが。

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追記

もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で

脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。

しかしボクは、一方が正しく一方が間違っているという論理に、驚くほど浸っている

偏見先入観の自覚

ふつう偏見先入観は自覚できないものである。

失敗しているとき、人は自分が失敗していると気付かない。

だから、対話というものは、やはり重要ですねー

  • 偏見や先入観の反対に、正しいってのは無いんじゃないか? 偏らない見方だから、中立。先に観念を入れないから、無心。 あたりじゃないのか。 正しい、間違ってる、というのは、 あ...

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