とにかくひねくれた若者で、
さぞ音楽が好きそうにデカいヘッドホンをつけて街を歩いたり、女のヒモのような存在にあこがれて、そんな生活をしてみたりもした。とにかくマイノリティに憧れた。映画も音楽も、まあなにもかも"大衆的な"ものはダメだと思っていた。学校で会う、普通のダサい大学生のことは完全にバカにしていて、外で会う同じようなマイノリティ(のふりをしていただけかもしれない)な価値観を持つ友人と、とにかく"一般"を小馬鹿にしていた。
変わったきっかけがなんだったかはわからない。学校には行かず友人もいないため留年して現実を見たからか、まずまず長い旅行(という行為がまたかっこいいだろうと思って)をしたことかも知れない。わからないが、ある時ふと、「ああ、そんな細かいことまで、誰も見てくれてはいないんだなあ」とおもった。
どんな音楽を聞こうが、どんなアートが好きだろうが、そんなことは他人にとってはどうでもいいのだ、と。センスが良いとか悪いとか、そんなことより大切なことはあるのだなあ、と。今思えば当たり前だけど、そのころは自分の聞いている音楽や見ている映画や、そのスタイルというものに自意識を持っていたのだとおもう。なにも自信を持つものがない中で、それだけが人に認めてもらえるとおもったのかもしれない。
とにかく、「俺は特別だ」というような自意識がすっと消えた。そうしたら、なんでもできるようになった。社会復帰をして、ある組織のリーダーをやった。思ったより向いていて、1,000人の前でスピーチをする機会なども与えられた。冬になり、本屋で就職活動のコーナーにいくのも恥ずかしくなくなった。その後の就職活動も万事うまくゆき、みんなが入りたいという企業からいくつもオファーを受けた。結局、日本のド真ん中のような会社に入った。どんどん社会のメインストリームに近くなっている。これからもそう進むのだとおもう。
それでも、昔好きだった音楽や映画の好みはかわらない。家でそれらに耽溺するのも昔と変わらない。ただ、昔のようにあからさまに主張をすることはなくなった。今思うと、あのときふと気がついたのはパブリックとプライベートの区別がついた、ということなのだとおもう。それが大人になるということだと、今では思っている。まあ、若いうちからわかっている人のほうが多いんだろうけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20070321212952 つくようになりたくねえなあと思った。 あああ大人になりたくないし大人であることを期待されたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20070321212952 つくようになりたくねえなあと思った。 あああ大人になりたくないし大人であることを期待されたくない。
と思うんだけどね、たぶんいずれは大人にならなきゃいけないんだよね。 というより、社会にでるとみんな確実に「大人になる」んだよなあ。だから、だいたいの大人が言うことは同じ...