はてなキーワード: 鳥山とは
・エニックスとの縁は、エニックスが出していた森田将棋のアンケートハガキにCPUの駒組みについて文句を書いて本名で送ったら「あのすぎやまこういち先生ですよね?エニックスのゲーム音楽を作ってくれませんか」と連絡が来た。それからウイングマン2とかガンダーラとか一緒にやるようになった
・ドラクエの音楽はすぎやま先生が参加する前にすでにできていたが、千田Pの強い意向で全部すぎやま先生の曲に差し替えることに。1週間で全曲をファミコン上で鳴らせるようにしろということなので、数日で全部作った。ここでいう全曲というのは「レベルアップの音」「階段を降りる音」「鍵を開ける音」といったME(Music Effect)も含む
・序曲は5分でできた。作曲というのは「出物腫れ物」のようなもので、あの時は私もたまたま調子が良かったんでしょう。ただ、それまでの蓄積があったからできたわけで、「54年と5分でできた」という言い方もできる(※ドラクエ1開発時のすぎやま先生は54歳)
・ドラクエの初期は開発現場に毎日行って、サウンドプログラマーと直接やり取りをしながら作っていた。すぎやま先生自身もPCマニアで、PC-8801を使い実装までできた。プログラマーが楽器に無知だったため、アーティキュレーションの微調整は全部すぎやま先生がPC-8801上でやっていた
・よく「ファミコン用にシンプルなアレンジを~」と言われるが、ハードウェアに合わせて曲を作ったことなんて一度もない。ドラクエの曲も、1の頃からフルオーケストラのつもりで作曲していた。サイン波や矩形波でも、例えばホルンはホルンの音形で鳴らしているので、ピコピコ音でも何の楽器かは伝わる
・よく「少ない同時発音数で~」と言われるが、別に2音あればなんとでもできる。音数が作曲の制約になったことは一度もない。制約の中での作曲がどうとか言われる理由がわからない
・作曲は頭の中でやる。仕事場にピアノは一応置いてあるが、ほとんど触ることはない。頭の中で鳴らした曲を直接、Overture(序曲)という譜面ソフト/DTMソフトに打ち込んでいく
・(頭の中でフルオーケストラを鳴らすのはどういう訓練をしたのかと問われ)いえ、何も訓練なんかしてませんよ。今、貴方(インタビュアー)は日本語を話しているが、日本語の訓練なんかしましたか?ベートーベンや素晴らしい音楽を浴びるように吸収し続ければ、できるようになりますよ(※すぎやま先生は東大卒で、音楽の専門教育を受けていない独学作曲家である)
ドラクエは発売前から当時の黄金期ジャンプが総力を挙げて毎週巻頭で宣伝していたAAAタイトルで、
そのためにわざわざ(ゲーム会社社員ではなく外部の大物である)鳥山先生とすぎやま先生を呼んだんだから、元増田の「大ヒットを狙ってなかった」は明らかな間違い。
当時、堀井雄二は毎日のようにジャンプ編集部に入り浸ってマシリトと一緒に英語版Wizardlyなど海外製RPGを遊びまくっていた。そういう中から生まれた企画(ファミコンでもRPGを出そう!ジャンプの力でRPGを布教しよう!)がドラクエ。
説明書のイラストが土居孝幸、ドラクエのロゴデザインが榎本一夫というジャンプ放送局・ファミコン神拳の面々という座組みで、鳥山明の担当編集はマシリト。
鳥山の起用を含めたジャンプのバックアップなくして、あそこまでの爆発的ヒットはなかっただろう。
高度な技術よりも労働時間に価値を置くっていう、はてブでよく叩かれてる発想では?
及川眠子さんも残酷な天使のテーゼを資料に目を通して2時間ぐらいで書いたって話と「エヴァのアニメは興味ないので未だに見てない」という発言から手抜きだのやっつけだの言われるが、手抜きでもやっつけでもねえのよ。
ドラクエもエヴァもプロがプロとしての技術を尽くし本気出して作ったものではある。たまたまそのときは何かのシナプスが繋がって短時間でできたってだけの話だろう
俺は唐突に発作を起こして「ドラクエができるまで」を語り始めたわけじゃないの
元増田が「大ヒットを狙ったわけじゃないのにウケちゃった」みたいなボケ発言をしてるので、
それが間違っている根拠として
「当時の黄金期ジャンプが全面バックアップしたゲームが大ヒット狙ってないわけないだろ」
これが「文脈」というやつな
ジャンプの話をしてるんだからジャンプと関係ない話はどれだけ重要でも触れる必要がない
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-03-25/2024032501_04_0.html
きょうの潮流
いろんな国ぐにの人たちがまねた、あのポーズ。漫画「ドラゴンボール」の主人公、孫悟空の決め技「かめはめ波」です▼今月初めに世界を駆けめぐった鳥山明さんの訃報。NHKの手話ニュースでも手話通訳者がそのポーズで追悼していました。1984年に「週刊少年ジャンプ」で連載開始。その後、アニメやゲームにもなり人気を博しました▼成長や友情、冒険やバトルをテーマに描かれていきますが、次第に戦闘シーンが激化。主人公が強くなれば相手もより強くなり、どちらかが消滅するまでに。当初、格闘ものは苦手としていた鳥山さんも出版社や編集者に押し切られ、際限のない強さをもとめるように▼暴力的で過激だと子どもにみせたくないとの批判もうけました。ジャンプ誌上では同じころに「北斗の拳」も連載されるなど、“マッチョな男の世界”が全盛の時代でした▼ジェンダーの視点から漫画を研究している中川裕美さんは、少年マンガに欠かせないテーマの一つに「戦う少年」があると以前本紙で語っていました。少年たちは、何かを手に入れるため、誰かや何かを守るために自分より強いものに戦いを挑み、苦しみながらも敵を倒して、またより強大な敵へと挑むべく、戦いを続けていくと▼いま、現実の世界でも暴力が暴力をうみ、憎しみが憎しみをうんでいます。はげしい怒りによって。戦前からつながる、男は戦うものだという価値観。漫画に限らず、そこからの脱皮を描いてこそ、新しい時代をつくるはずです。
とうすればダウィンチやピカソや大友や鳥山みたいな「革新」を起こせるような画境を開けるの?
ひたすらやっても、っていうかみんな漫画家は自分なりにひたすらにやってる、あるいは考えた量と描いた量だけなら彼ら以上の人もいると思うんだけど、それでもその他大勢の作品しか作れず埋没して死んでいくだけだよね?
もう何それって素質の有無ってやつ?でもそうやって革新を起こせて自分には素質があったと初めて結果論でわかるだけだから、そうでないうちは自分に素質があるかもと突き進むか、諦めながら『もしかして素質あったかもしれないけど不確定なことに時間と努力注いでもしょうがないよな』って思うしかないのか?
革新を起こした本人でさえ、「この絵なら確実に革新を起こしたと評価される」と確信をもって自由自在そういう絵を生み出していたわけじゃないと思うの。
大友先生は難解なところがあっただけに、早くからみんなが解き明かそうとして研究が進んだ。
その結果、フォロワーが続出して潮流になった。
わかりやすいというのは引っかからないってことだから、自然すぎて凄さが気づかれにくいんだよね。
ようやくみんなが「実はすごいぞ」と気づいて、わかりやすさを成立させている文法やテクニックや気配りの研究がこれから進むだろうってときに亡くなられてしまった。
悲しい。
これから研究が進んだとしても、その応用はゆっくりしたものだろうと思う。
いずれ鳥山明先生の編み出した文法は解析されて、教科書的な当たり前の技術になっていくんだろう。
しかしそれを「鳥山明以後」だ、という風に意識するようにはならないんじゃないかな。
「わかりやすさ」を支えているのは基礎の基礎。
基礎っていうのは当たり前の部分すぎて、それが誰の工夫かなんて人々は気にしないから。
電球を発明したエジソンや電話を発明したベルは偉人としてみんな知ってる。
アスファルト舗装を発明した人や鉄筋コンクリートを発明した人が誰か知ってる人は少ない。
そんなもんでさ。
SDガンダムの開祖・横井孝二はアマチュア時代は鳥山明への憧れから「鳥山劣」というペンネームを使っていた。SD体型はDr.スランプのころの鳥山明から影響を受けたものだったのだろう。ガンダムの歴史にも実は間接的に鳥山明の影響があったといえる