はてなキーワード: 死ぬこととは
http://anond.hatelabo.jp/20070325183828
きゃー!ヒトラー!とかで済ませちゃうのもどうかと思うので、考えてみた。
まず、大きな問題があって、強い、弱いというものはそんなに明確な基準があるものじゃない。
何が、何に対してどう強いのか。また、それを誰がどうやって決めるのか。『多様性』を保つということこそ強さだという考えもある。
つまり、『今』は役に立たない『弱さ』であったとしても、『将来』役に立つ『強さ』というものは残しておくべきだ、みたいなね。
もう一つ。
自分が弱者認定されたとき、死ねるのか。たとえば、人は必ず老いる。
一般的な生産力・創造性といわれるものはいつか自分から失われる。
そうなったとき、他人の生産力・創造性の余剰分で喰っていかねばならなくなったとき、
あなたは、死ねますか?また、自身が死ぬことが良いという価値観を持てますか?
2.妥当だとして、自分はそれに従えるのか。
なかなか、面白い問題ではあるよね。では、次のかたどうぞ。
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http://anond.hatelabo.jp/20070325215243
そんなこと書かれたほうがドキドキするよ。
クマー!危ない、危ない。うまそうなエサだったぜ。
http://anond.hatelabo.jp/20070316193101
良い感じだね。羨ましい。>講師の人
そう、無関心。無関心なことがきりがなく続くのは面倒だという感覚。
でも、現在の自分のルーチンワークは許容できる。今すぐ死ぬことから2番目くらいの良い方法と判断したから。
死にたい気持ちに変わりはないが、自分で選んだ方法として、それなりに楽しくこなしている。
これがどうにも嫌な人は、突然「生きがい」とか「世界滅亡」とかに飛びつきたくなるのかもしれない。
親御さんだけが気がかりという状況は正直羨ましい。
自分は既に三十代だけれど、長く生きれば生きるだけ、恩のある人が増えてきてしまった。
関わり合う人は極力少なくするように暮らしているが、今日突然自殺して仕事を滞らせては職場に迷惑がかかるし、
同僚もショックを受けるだろう。兄弟や、なついてくれてるその子どもたちもショックだろう。
困らせたいわけじゃないんだ。自分が早く死にたいだけで。参ったなあ。
社会生活というのは、つまりそういうことなのだろうと思う。
平均寿命からすればまだ折り返し地点にすら着かない。まあ、ペースを守ってぼちぼち行くとしましょう。
以上、直接恩のある人がいないここで、増田はいつも考えてることをつぶやいてみました。
小学生のときは「ゆうふくなサラリーマン」、中学生になったら「裕福なサラリーマン」、卒業文集の“将来の夢”の欄には、そう書き続けた。どんな内容の仕事でもいい、土日祝日が休みで、給料をたくさんもらえるサラリーマンになるんだと、ずっと夢見ていた。
父親は、とある会社の社長をしていた。「社長」なんていうと響きは良いけれど、ごく小さな、そして運営が苦しい会社の社長なんてものは給料が無いに等しいらしい。会社の運営と従業員の給料で一杯一杯だったようで、うちの生活費は全て母親がパートに出て捻出していた。そんなわけで、家は貧乏だった。「貧乏暇なし」の言葉どおり、父親はいつも忙しく外を飛び回り、母親はパートで家を空けていることが多かった。
友達なんてとても呼べないくらい、狭くてボロボロの借家に住み、衣服は親せきからの貰い物ですませていた。その貧乏をネタにいじめられた事もあったけれど、徹底的に仕返しをしたら、いじめられなくなった。代わりに無視が始まり友達は去っていって、ひとりぼっちになった。「これは全て家が貧乏なのがいけないんだ」と、うまくいかないことを全て貧乏のせいにして、貧乏を激しく憎んだ。また、零細企業の社長なんぞやっている父親を心から憎み、軽蔑し、大きくなったら絶対に社長になんかなるもんか、サラリーマンになってやると、心に誓っていた。
バイトと奨学金で高校に通い、新聞配達をしながら(新聞奨学生)大学に通った。「一流の大企業のサラリーマンなら、きっと裕福なサラリーマンになれるに違いない」と信じ、就職活動では全てそういった企業を志望した。そんな信念のおかげか複数の企業から内定をもらい、そのうちの一社に入社した。多くの人が知っているであろう有名企業で、土日祝日は休み。朝から晩まで働きづめになることもない。月収はそれほど多いわけではないけど、ボーナスとたまに出る各種報奨のおかげで、年収ベースで換算すると同世代ではかなり高額なほうだろう。入社して5年、「裕福なサラリーマンになるんだ」といういつかの夢が、気がついたらすっかり叶っていた。
夢が叶ったのだから幸せなはずなのに、最近は死ぬことばかり考えている。なぜかって、この先どうしたらいいか分からないから。多くの人は「交際→結婚→家族形成」と進んでいくようだけど、異性への興味もそれほどないし、子供も嫌いだし、家族なんて持ちたくもない。仕事に生きればいいのかもしれないけど、今の仕事が好きになれるとは到底思えない。趣味といえるようなものは、このはてなくらいなもので、無駄に預金ばかり貯まっていく。夢が叶ってしまい、自分自身はすっかり空っぽになってしまった。こんなことなら、夢なんて叶わなきゃよかった。一生「裕福なサラリーマン」になることを、追い求めていられればよかった。
「夢は叶いました。めでたしめでたし」で、幕が閉じてしまえばいいのに。
夢なんか叶わないほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20070124161750
http://anond.hatelabo.jp/20070125145018
自分のところの土地が水浸しになったり台風で家が壊れたりする方が
より重要な問題だと思っているから、環境問題が重要だって思ってるんじゃないかな?
例えば、自殺テロのようなものは能動的であるでしょう。あれは宗教上、それをすることにより救われると考えるからであり、生きることが嫌だからではないと思われます(断定できないのは、軍では特攻するときにドラッグを使うことがあるので、これもそれによる可能性が否定できないため)。
あとは、ゲームの魔法(命を犠牲にして仲間のHPとMPを回復させるやつ)にあるような、自分が死ぬことにより周りが救われるという場合もあるでしょう(もちろんこれは自分で納得して死ぬ場合の話です)。この能動的自殺というのは、その人の家族や恋人以外の人が否定できるものではありません。
逆に、生きるのを望んでいるのに、死ぬ、生きることが嫌だから、死ぬ、というのが受動的自殺です。これは否定されるべきであると思います。しかし私自身も、死にたいやつは死ね、と考えることもあります。しかし、それは本当に「死にたい」のかといえば違うと思います。世の中の大半の自殺が受動的であると思うのです。やはり、能動的意味で「死にたい」やつなんて早々いないのです。
また、この「死にたいやつは死ね」というのは、自己の無力さゆえだとも考えられます。世の中に「自殺」することを止められる人間がどれだけいるでしょうか。そんなものは真の意味で「生を肯定できる」人にしかできません。つまり、私には無理なのです。それゆえ「死にたいやつを止めることはできない」が「死にたいやつは死ねばいい」になってしまうのです。
あなた(私)が世の中に対して生を肯定できる理由というのは、この先も見つけられないかもしれません。しかし、世の大半の人間は生きていきます。自殺する人よりもだらだらと生き続ける人の方が多いのです。こんな受動的なことを言うのは、はっきり言って悲しいです。虚しいです。
でも、死ぬのって嫌じゃないですか。生まれなければよかったなんて、だからってそこで死んだらそれこそなんなのでしょうか。無に帰るだけだ、なんてそんなこと人間が本気で思えるわけありません。ましてや来世がどうのこうのなんてどうでもいいです。私は、今、生きたいのです。いや、死にたくないのです。「ちょっぴりつまんない」なんて受動的自殺が面白いわけありません。だから私は受動的人生であったとしても生きようと考えています。少なくとも能動的自殺のできる理由がない限りは生きます。
長すぎると書き込めないようなので分けます。
地球温暖化を止めるとかなんとか言うけど、理由が分からない。
だから何?と僕は言いたい。
そうなると困ることはナンナノダ!
人は、死ぬことを怖がっているだけなんではないのか。死ぬ以外に何が起ころう。たかが温暖化で。
陸地が減るなんて問題ない。月だって火星だって陸はある。
世の中、生まれてきた物は死ぬんだから、いつだって問題ない。
こういう意見もあるかもしれない。「今まで人が作り上げてきた文化や技術が無駄になる。」
そんなこと問題ないね。文化はまだしも、技術がなんだ?
発展すればするほど、つまらなくなることが多くなる。
・勉強しなくていい
・家事をしなくていい
・新しく知ることもまったくない
あーあ。つまらない。