はてなキーワード: 植物状態とは
悪くないエントリなんだけど、医療関係者で、かつ命について一所懸命考えている人なら、「脳死」「植物状態」といったあたりの言葉を、簡単にごちゃ混ぜにして使わないで欲しい。お願いだから。
http://www.okayama-zouki.or.jp/noshi.html
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
仕事で。
ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆
って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、
すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。
その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、
目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。
何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。
人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。
その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。
ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。
1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。
色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は
「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、
つまりは「死んだら、連絡ください」
ということを言った。
可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。
人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。
本当に色々な人生が人にはあって。
長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。
仕方ない。
脈は正常。
呼吸は一定。
でも植物状態。
生きてても、死んでても、なんでもいい人。
主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。
愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、
静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。
この人は、生きているのだろうか。
この人は、死んでいるんじゃないか?
もうほとんど死んでいるんじゃないか?
脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、
私は見失う。
命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。
血圧が少し、安定しない夜があった。
私は医師に報告した。
血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。
でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、
「自然に看取ってあげよう」と言った。
死っていうのはさぁ~
医療の敗亡じゃないんだよぉ~
むしろね、むやみに色々やることのほうが~
人間らしさを奪う行為にぃ~
「美しい」と思う。そういうのって。
美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。
人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。
しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。
うん。
うん。
うん。
先輩にそう伝えると、「うん・・・」
後輩にそう伝えると、「はい・・・」
私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。
その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、
全然違う話をしてたのに後輩が、
「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」
と、言った。
「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?
私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」
と先輩がクスクス笑った。
手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。
毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。
彼の名前を耳元で呼び掛ける。
体を吹く。
腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。
毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。
汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。
そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。
「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。
毎日、毎時間、違う。
脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。
どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、
この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。
わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。
生きているとしか思えない。
意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、
今ここにある命が圧倒的すぎて、
命すげぇーって思って、
死んでく人もたくさんみるからこそ、
もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、
「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、
ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。
学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、
人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、
法律とか、もう色々あるんでしょうけど、
その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、
今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。
でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。
なぜか脳死状態の人(意識があった頃には全くの他人であった相手)に欲情して、彼らとの性交を望む人種を連想した。
そんな性的嗜好の人間が存在するかどうかはわからないけど、そういう人間の嗜好を公に垂れ流しにされたら、確かにずいぶん不快だろうなと思う。特に難病の人や彼らの家族にとっては、看護/介護現場での虐待は他人事じゃないから敏感にならざるを得ないだろう。
いくら「二次元のファンタジーで性欲処理しているだけですので現実の人間には手を出しません。そんなこと規制してたら白雪姫だって放映できなくなっちゃうじゃないですか。もしこれを規制したら、脳死状態や植物状態の人に対する性的虐待が今よりも遥かに増えますよ」と言われたところで、それが彼らの人目につく場所にあり続ける限り、扇情的なメディアに影響されて「脳死萌え」とか気軽に口にするようなアホが消えない限り、そうした嗜好の人間は介護虐待者予備軍でしかなくなってしまうんだろうな。
なんでけんか腰なのかサッパリ分からないけど(2chかどっかから間違ったスタイルを引きずってるのかもしれないけどここは増田なんでマジレスするよ)『全身不随』の人にだって「入出力デバイスはある」よ。
『植物状態』と勘違いしてるの? まあ植物状態だって「デバイス」はある。
あのね。
暗い所で目を閉じてたら、あなたはどうなる? 適温で静かで安全で。
眠くなってくるでしょう?
身体からの入力信号が低下してくると、脳みそは「眠り」を選択するんだよ。脳みそも忙しいからリソースが余ったら回すということなんだろうけど、これは同時にあなたの
体がなければその部位が衰えるわけで、そうなった場合に、脳みそ全体として見た場合、格段に衰えてしまったりしないのかなぁと疑問
に対する一つの答えでもあるよ。つまり『夢』には、現実体験を擬似的に再現することで(いわば自ら擬態信号を作り出すことで)身体や身体機能を司る部分を活性化させるという働きもあるんじゃないかな、と。