はてなキーワード: 度外視とは
それあるよなあ
話がおもしろいとか不愉快とかを損得のうちに数えてる増田がいるけど、気にしなくてよいんじゃないかな。
損得そのものというか、金に寄ってくる人にくらべりゃ可愛いもんよ。
俺もフリーで仕事してて収入に波があるせいか、そのへんは露骨に感じる。
社会は互恵的利他主義で成り立ってる。ちょっと考えれば誰でもこういう結論に辿り着くだろうけど、普段は誰も考えもしないし、意識もしない。道徳による利他主義を教えず、利益至上主義を教え込めば、頭のいいやつは互恵的利他主義を考慮して行動するだろうけれど、頭の悪いやつは目先の利益に囚われて(最終的には損になることにも考え及ばずに)他者を踏み躙るような形で利己主義的に行動しかねない。頭のいいやつがそんなに多いとは思えないし、将来は堅実な行動を取るにしても、頭が良くなるまで野放しっていうのもマズい。だから、なぜそう行動すべきかなんて理由は度外視してでも、宗教的だろうと何だろうと道徳を教え込むのは重要だと思う。
それも一回限りではなく連続したやつ。
金と同時に、暇を得ることも非常に重要だと思う。
平均的な比率がどうあるべきかはわからないけれど。
追記:
社会は互恵的利他主義で成り立ってる。ちょっと考えれば誰でもこういう結論に辿り着くだろうけど、普段は誰も考えもしないし、意識もしない。道徳による利他主義を教えず、利益至上主義を教え込めば、頭のいいやつは互恵的利他主義を考慮して行動するだろうけれど、頭の悪いやつは目先の利益に囚われて(最終的には損になることにも考え及ばずに)他者を踏み躙るような形で利己主義的に行動しかねない。頭のいいやつがそんなに多いとは思えないし、将来は堅実な行動を取るにしても、頭が良くなるまで野放しっていうのもマズい。だから、なぜそう行動すべきかなんて理由は度外視してでも、宗教的だろうと何だろうと道徳を教え込むのは重要だと思う。
id:fromdusktildawnさんは、はてな匿名ダイアリーでは大きく振りかぶって釣竿を垂らす。
彼の自前の劇場のエントリーからは、どこかドラマチックでエレガントな「コンテンツとしての整合性とクオリティを守ろう」という意識が感じられるし、最近は幾つものテーマを重畳させてエントリーに深みを与えるよう、創り方を変えてきているようにもみえる。
しかし、はてな匿名ダイアリーにおける彼はそうではない。隙の多そうな、釣り針が延々と連なるようなエントリーを垂れ流す。その姿は、まるで長さ数キロメートルに渡る延縄を流す漁船の如しだ。「餌選び」も劇場とは違う。ドラマ性やエレガント性を度外視した、とにかく食いつきの良さそうなネタをブツ切りにして針に引っ掛ける。多少釣り針が餌から顔を出していても、なぁに安い魚は気づかない。なぜなら、安い魚というものが、「釣り餌だという事実」よりも「おいしい餌だという事実であって欲しい願望」を視るものだし、だからこその安い魚なのだから。
時にはトラックバックという名の連鎖反応が、延縄に面白い風景を与えるかもしれない。釣り餌に噛み付いた鰯にヤリイカが噛み付き、ヤリイカに鮫が噛み付いて...。釣り冥利に尽きる。
fromdusktildawnさんは時々覆面をつけた状態で増田海域を訪れ、片手で操船しながら自分の入り江よりも遥かにぞんざいに、大胆に、トン数重視で、延縄を仕掛けては安い魚を大量捕獲する。ブックマークという名の魚河岸に並ぶ、安い魚、まずい魚、小さな魚。巧妙なことに、増田の釣りエントリのぞんざいさは劇場と増田のギャップを際立たせるし、文体マスキング技術の高さがステルス性を保証しているので、どれが本当のfromdusktildawnさんの延縄漁船なのかは誰にもわからない。俺にもわからない。わかったらビビる。
...という妄想です。
なかなかすごい文だ。
http://anond.hatelabo.jp/20070228160720
そのため江川は人気獲得度外視で好き勝手なストーリー( 物語初期においては、 春風駘蕩とした主人公を含めた独特な人物設定や、 心理学的社会学的な分析 が、作品にユーモアや深みを与えていたが、 物語が展開し、終盤に至るにつれて、 学歴批判、 学校批判、 PTA批判、 性の肯定、 大衆の無際限な欲望就中大量生産・大量消費批判、 自然保護、 「足るを知る」 等、 ともすれば自身自分の生活態度と矛盾している部分もあると後に 日本テレビのバラエティ番組 『今田ハウジング』 において 作者江川が 反省的に述懐するように、 正統的ではあるが、説教に近いような厳格な倫理観( 作品後期の一つ一つの命題について、今一度、 作者の主張の普遍妥当性を、 場合によってはそもそも作品後期の問題提起の根拠が妥当かといった点にまで、 吟味を要する( つまり、作者は、 日本で標準的に生きる場合の日常生活自体を不可能にすることもある ような要求を立てることがある )ほど厳しく、 つまり場合によっては人を繋縛するようなそれ )を打ち出し、 登場人物の科白に仮託した、 観念的でもあり やや高圧的でもある 言説 )を展開させる。
こんなもんかな。
Wikipediaの江川達也『GOLDEN BOY』の項目の中にあった文章
http://ja.wikipedia.org/wiki/GOLDEN_BOY
そのため江川は人気獲得度外視で好き勝手なストーリー(物語初期においては、春風駘蕩とした主人公を含めた独特な人物設定や、心理学的社会学的な分析が、作品にユーモアや深みを与えていたが、物語が展開し、終盤に至るにつれて、学歴批判、学校批判、PTA批判、性の肯定、大衆の無際限な欲望就中大量生産・大量消費批判、自然保護、「足るを知る」等、ともすれば自身自分の生活態度と矛盾している部分もあると後に日本テレビのバラエティ番組『今田ハウジング』において作者江川が反省的に述懐するように、正統的ではあるが、説教に近いような厳格な倫理観(作品後期の一つ一つの命題について、今一度、作者の主張の普遍妥当性を、場合によってはそもそも作品後期の問題提起の根拠が妥当かといった点にまで、吟味を要する(つまり、作者は、日本で標準的に生きる場合の日常生活自体を不可能にすることもあるような要求を立てることがある)ほど厳しく、つまり場合によっては人を繋縛するようなそれ)を打ち出し、登場人物の科白に仮託した、観念的でもありやや高圧的でもある言説)を展開させる。
これで一文。長い!カッコの中がちょう長い!しかもかっこのなかにかっこがある。ややこしい。感銘を受けたので増田にメモるものであります。