はてなキーワード: 今金とは
姉とひどい喧嘩をした。じっさい、こんな人間が兄弟なのかと最悪の気分になっているぐらいだ。
喧嘩の理由は、私たちの今住んでいる自宅についてだ。私が今住んでいる自宅(実家)は、姉夫婦と住居の交換を行った自宅で、名義人は変えていないので、それぞれの家の所有者は各家庭の世帯主である私の父と、姉の旦那となっている。だからローンの支払いなどは名義人が行っているが、住んでいる人間だけが違うという状態だ。
私が住んでいる、元姉夫婦の自宅がまた酷いボロ家で、上階の住人の足音のみならず、風呂の音や痰を切る音まで聞こえてくるすさまじいものだった。姉夫婦は、こことは比べものにならないぐらいグレードの違う、私が元々住んでいた家に住んでいる。そして、私はこの家でもう1年もの間、怒りや忸怩たる思いとともに、耐えている。
実際、私たち家族の「住居交換」というのは特殊な例だと思う。私自身どこに相談すればいいのかわからず、私が妙なのか姉が妙なのか、それを確かめてみたいが故に、敢えてキーボードを打っている次第だ。増田の方々はどう思うか、とても長くなってしまってすまないが、何かしらの意見がいただけると、少なくとも自分がひとりで抱え込む必要はないのだとわかるから、うれしい。
喧嘩の原因は、私が住んでいる住居について、姉と話をしたのだが、その際姉は「この家は自分達のものなのだから、管理も自分達がしなければならない」という様なことを私に対して言った。私はその言葉に大いなる疑問を感じた。
自分達のものなのだから、だって?
自分達は私たち家族が元々住んでいた、すばらしい家で暮らし、そのすばらしい家のローンは私の父―自分の親持ちで払ってもらっているくせに、何を言っているんだ?
私は顔にこそ出さなかったが、内心あまりにも腹が立ったので「いいですね。あなたは私たちが元々住んでいた家も持っているし、この家だって所有しているんだから」と言ってしまった。
そこで、何故か姉が烈火のごとく怒り出した。最早冷静に話ができるという様な状態ではない、まくしたてるという表現がぴったりであり、私は怒り出す姉を至極冷静に眺めていた。姉が言うことは以下の様なものだった。
確かにこの家に来て、あんたは嫌な思いばかりしているかもしれない、しかしこの家をローンを組んで買ったのは私の旦那が頑張って働いて買ったお金だ。馬鹿にするな、私たちはこの家が気に入っていたのだ、あんたがそんなに嫌なら出て行けばいいじゃないか、あんたが前に住んでいたすばらしい家のそばに自分がローンを組んで家を買えばいいじゃないか…およそ冷静とは言い難い、矢継ぎ早に繰り出される言葉の数々に、何故ここまで怒られなければならないのか私は辟易した。
辟易しながら、次に何を言い出すべきかと言葉を吟味していたが、この人が言うことにはかなりの矛盾があった。
家を気に入っていた、と言う割には「子供のためだから広々とした家に移れてうれしい」と言っていたのは誰だ?
喜々として何の悪びれもなく振る舞っていたのは、どこの誰だ?
私に偉そうにローンを組んで買え、などと金銭的な要求をする割には、今金銭的な負担を全て旦那や私の父に任せて、家でのうのうと暮らしているのは、どこの誰だ?
生活形態が主婦であるから仕方がないにしても、いくら姉だからといって下の兄弟をこうもあからさまに非難できるほど、この人は強い立場であるのか?
もちろん主婦の全てがこうだとは私も思わない。
しかし、その主婦である姉がこのような振る舞いは、少なくとも私の身近な主婦というのは利害関係の全く異なる、何か別の「種族」としか思えないと思わせるようなものだったし「これだから女は」という台詞に、思わずうなずいてしまうような、そんな言動だったのだ。
私はもうこの家を出るしかないなと思っている。こんな発想の人(=この人の旦那)が一応の所有者である家に暮らしているのは癪だからだ。
表面的にそう、振る舞わざるを得ない時は、そうするかもしれないが、それは全く本心ではない。それほど、姉に対して私は不信感と疑念と諦観を抱いた。
おそらく、私はもう二度と姉と屈託なく話すような事はないだろう。
男だが、「男の料理」という言い回しが嫌いだ。炊事に女も男もあるものか。それだけのことである。あと舌の狂ったキッチンドランカーがめちゃめちゃな味付けを行ったり、食後の後片付けを誰かに押し付けたり、これを正当化する際のキーワードとしても用いられる。あと、世の男性の料理長たちは、男以外の何かなのか、という話でもある。
共働きならば、先に帰宅した方が台所に立つのが正しい。家事分担にこだわって、無駄に空腹の時間を過ごすのはアホの典型であるが、あるいは、そもそも分担がうまく機能してない証拠である。もっともこのことは、あらゆる家事に通用する。課題は見つけた方がやっつける。ただ、食後の皿洗いのようにスタートラインが同じ場合は、どちらが行なうか交渉できる。積極的に交渉を持ちかけることができる関係もまた良し。
また独り身でも、経済的栄養学的スキルアップ的に、炊事が有意義であることは言うまでもない。昨今金欠なのは一部を除けばどこも同じと推察するので、安い食材でもってうまいことやるのが、妥当な選択というものだろう。料理は愛情ではない。技術だ。
話はずれたがそろそろメシ時である。今日は何を作るか、などと考えながらレシピサイトを眺め、近所のスーパーに売ってないような食材を選択することは、アホである。もとより冷蔵庫の中身は、おおまかにでも常に把握しておくべきだし、把握を容易にするため、無駄に買い溜めしないことも重要である。それでまず最初に、冷蔵庫には何か残っていたかと、帰り際に考える。
次に帰り道の途中にあるスーパーに入る。このスーパーは、時々どうやって食うのかよくわからないものを仕入れてたり、予告もなしに特定食材の一斉放出をはじめる。少々ネジの外れた店である。よくわからないものを売ってた場合は、新しい調理法を知るチャンスとなり、かつ普通のおばちゃんたちは、よくわからないものは買わないので、自ずと安く出ている。先日は加熱用の牡蠣を大量放出していた。よくわからないものではないが、我が家として珍しいものであることは確かである。馬鹿に安いのが気になるが、ワケあり品を出して人死にでも出ては店が大変なので(ちなみに身内に牡蠣アナフィラキシーがいる)産地を見た上、その可能性を排除した。単に大量に仕入れたということなのだろう。恐らくこの日は、この町内のあらゆる家庭が牡蠣を食した。
またこの時、牡蠣にはトマトだろう、という怪電波を受信。自分の記憶のどこを探してもこの組み合わせを食べた話も作った話もなかったが、恐らく深層に眠っているのだろう、ということで、その場で携帯から「カキ トマト レシピ」などとぐぐる。数多の事例が見つかったので、この組み合わせはアリということだが、この段階では何を作るか留保したまま、とりあえず激安牡蠣と激安トマト缶を買って帰る。ところで、食材の組み合わせにアイディアが欲しいとか、疑問がある場合はここなど参考になるかも知れない。どう料理するかはさておき、理論上の可能な組み合わせが列挙されている。牡蠣にトマトは言うまでもないらしく、言及なし。
帰宅後、再度レシピをぐぐるが、実は帰宅するまでにトマトシチューにするということで肚が決まってしまっていた。残念ながらそのものズバリのレシピは見つからない、というか時間もないし、そのものを作る気も一切なかったので、いくつかのサイトを流して、牡蠣の洗い方やら鍋に投入するタイミング、使用する調味料やハーブなどに関する大まかな傾向を把握する。ハーブはそのものが手持ちにないことも多々あるので、暇なときにwikipediaで共通成分を見たりしておくと代用が効く。
あとは実行しながらその都度工程を考える。鍋に火を入れ、加熱すべきと思われる順に野菜を切って投入すると、少々焦げが出てきたので、少しの酒を入れて焦げ付きを回避、かつ焦げ味を回し、進展が見られなくなったところで牡蠣とトマト缶をぶち込み、味が濃くなりすぎないようあれこれを少しずつ足し、タイマーを数分かけ、その隙に他の事を行い、タイマーが鳴ったら再び様子を見て、さらに手を下したり下さなかったりして、よきところで火を止め、あとはメシ時までフタして放置した。実技は適当なもんであるが、断じて「男の料理」とは言わない。
食べる時は、自分で作ったから自ずとそうなるが、単に美味いか不味いか、というよりは、個々の食材の味がどのように按分されたかを分析してみたりする。例えばこの時は、牡蠣を入れるタイミングがちょっと早かったかもしれない、などと思ったので、これを記憶しておくと、あとで使えるかもしれない。また同じような分析を、外食の際に行うことにも意味がある。料理の種類によってはかなり難しいが、タイ料理なんかでこれをやってみると、かなり色々なことがわかって面白いと思った。