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2008-12-03

mixiオープン化で思うこと

mixiオープン化するらしいです。

と言ってもすでにかなり巨大化しているので、オープン化していたようなもんですけどね・・・

クローズドなコミュニケーションをしたい人はそれぞれのジャンルSNSにもう移ってしまっていますし。

PV上げて、広告収入増目指すってことでしょうか?よくわかんないです。

また、規約云々の時みたいに騒動になるのは必須だと思います。

まぁ、日記の公開範囲設定くらいなもんでしょうけどね。それでも一応招待制クローズドなんだっていう、形だけになってはしまってはいるもののそのはりぼての安心感に穴が開くような・・・

あ、あとgree上場するらしいですが・・・

mixiに適うんでしょうかね?テレビCM打ったり、何か迷走しているように見えますが、そういう方向だとDeNAモバゲーがありますし・・・

うーん、きびしいんじゃないかなぁ。

株価見守りましょう。

話は戻って、さっきのmixiオープン化なんですが、やっぱり形の上だけでもクローズドな状況って守るべきだと思うんです。

Webってメディアの一つじゃないと思うんですよね、もはや。僕の感覚では。

SNS、というよりもっと大きな言い方をしてしまうと、現在Web違和感を感じています。

実生活にかなり近いものになってると思うんです。双方向性という言葉に収まらないと思います。

オープン化って、要するに「エントランスオートロック設備撤去します。部屋の扉の鍵は各自してね」って状況だと思うんです。覗かれ放題です。

そうして広告収入モデルのことを考えるときに、人が大勢行き来するような道端でティッシュ配っているような、いや、もっとあれですね、言ってみればビラ配っているか、もしくは俗にいうところのサンドイッチマンみたいなもので(邪魔に感じる具合とかも含めて)、とても大きな効果をもたらすものにはならないんじゃないかと思うんです。

もっともっとWeb2.0的なことって、あると思うんですよ。具体的にこうことだよ、っていう提案ができないことが非常に悔しいのですが。

このままだとテレビその他従来のメディアのように、何か見えない大きな力で動かされてしまうつまらないものになってしまいそうだし、そうさせてはいけないと思うんです。

そこらへんで僕らのようなWeb標準世代(言い方があつかましくてすいません;;)がちゃんとしないといけないっていう使命感があるのですが具体的な手段もなく・・・

なんか、テレビCMその他情報操作系(笑)の広報活動ってそっちで勝手にやっててほしいのに最近Webにも乗り込んできてたり、その他現状のWebについてすごいもやもやしてて意味分かんない文章になってしまいました。

ちゃんとおかしなものに対して違和感を感じる感覚をいつまでも大切にしようと思っています。

あー

2007-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20070328125904

 なんだっけかなー、ハルキ文庫版の『神狩り』あとがきだったと思うけど、山田正紀がちょうどあなたと同じくらいの年頃のことを回想してた。デビューしたもののそれだけで食うことはできず、アルバイトをしながら次回作を書きためてたっていう話で、彼は繁華街サンドイッチマンバイトをしながら、作品の構想を練ってたんだそうだ。朝から夜までずーっと立ちっぱなしで、誰ともしゃべらず、ただただ次作の構想を練り、帰宅したらすぐにそれを原稿用紙にぶつける。それがすごく楽しくて、毎日充実してた、って書いてたのが印象的だった。

 あと、奥泉光エッセイ集『虚構まみれ』にも、同じくらいの年頃の生活のことがいくつか書かれていた。基本的に貧乏で、まだ作家デビューもしてなかったんだけど、毎日家にこもって自分が思いつく限りの実験的手法を使った小説を書いていたっていう話。奥泉も、この頃の生活のことを、とても豊かで充実した日々で、「作家」になるためにはこういった「逼塞」の時期が必要なのだ、できれば若いうちに、と書いていたのが印象に残っている。

 僕は作家ではないので、あなたが今直面しているような、長期に渡るライターズ・ブロックの経験はない。でも文筆業者の端くれではあるので、「文章を書く」という行為が苦痛に思えてしかたなかったり、まったく興味を持てなくなったりすることの苦しさ、恐怖はわかる(なにしろそれで食っていかなければならないので、書けないということは容易に生活の破綻へと繋がるわけだし)。「創作」という要素が加わった場合、その苦痛はさらに大きなものとなるだろうことも、なんとなく想像はできる。あくまで想像でしかないけど。

 だからまあ、これは半分アドバイス(同じ文筆業者として)、半分無責任な言いっぱなし(作家ではない職業人間幻想)として聞いてもらいたい。あなたは今、貯金もそこそこあることなんだし、これから一年半くらいはなにもしなくても暮らしていけるはずだ。だからこれからの一年半くらいの時期を、二十代最後の、たぶん今後二度と訪れないであろう「逼塞」の時期として過ごしてみるというのはどうだろう。これは若い頃じゃなきゃできないし、作家以外の職業人間にはなかなかできないことだ。孤独かもしれないし、何もしない日々が続くだけかもしれないけれど、それはとても豊かな営みじゃあないだろうか。高等遊民としてこれからの一年半を過ごすのだ。

 確かに400万という金は、他の人が書いていたように、一生を託す金額としては「鼻クソ」かもしれない。だけど、独り身で一年ちょっと暮らすには十分だ。恐れることはない。余裕をもって、何もしない日々を優雅に過ごせばいいじゃないか。僕は作家ではないので、具体的に何をすれば「創作」の意欲が沸いてくるのかについては何も答えられない。しかし、「今日も何も書けなかった」と何かに追われるような日々を悶々と過ごすよりは、これから先、一年ちょっとの余裕があるのだと考えて日々を生きるほうが、まだ何かが沸いてくる可能性があるんじゃないか、とは思うよ。金が尽きたときのことはまったく考える必要はないよ。金が尽きたら働くか、あるいは野垂れ死にすればいいだけなのだから、悩むほどのことは何一つない。二択だ。シンプルだ。自由だ。

 あとはやっぱり、他の人も書いてたけど、体を動かすと楽しいよ。特に働く必要がないなら、一人でできるスポーツをするといいと思う。体を鍛える系じゃなく、なるべく遊戯的なものをね。バッティングセンターとか、ゴルフの打ちっ放しとか。あと水泳楽しい自転車なんかもお勧め

 いやほんと、体を動かしてると、机の前に座っているときとはまったく違う言葉が見えてくる。あるいは言葉がぜんぜん考えられなくなることもあるけど、そういうときは疲れて休憩してるときに反動でぶわーっと言葉が沸いてくるんだなこれが。面白い。世の中には我々が想像だにしない面白いことや楽しいことがごく身近に、簡単にアクセスできるところにごろごろ転がっているんだけど、そういうのは時間に余裕があるときじゃないとぜんぜん気づけない。だから今あなたのように時間に余裕がある人がほんとうに羨ましい。

 なんだかとっちらかった文章になっちゃったけど、これから、いつか、あなたが書く新作が、多くの読者に喜ばれ、受け入れられることをお祈りしています。

2007-01-11

馬鹿なことは相談しちゃいけない、できなくなるから。

自分が面白いと思ったらやるんだ。

田舎者の考えそうなことですが、渋谷スクランブル交差点の真ん中で一日中食請いをしていたら誰か恵んでくださるだろうか?

あまりにもお腹がすいたのでこんなことを考えた。これって就職活動に使えるんじゃねえのとかメリットまで思いついた。実際こういう体験をしたって発言すればある程度食いつくのだろうか?

渋谷の真ん中でビデオ回しつつサンドイッチマンっぽいことして、物乞いしてみたい。信号が変わったら走って中心に駆け寄るという作業を一日中繰り返した先に何があるのか。

朝から何も食べず昼食時に少し文面を変えて感情に訴えてみる。あいつまだいるのかとホスト風な兄ちゃんに思わせてみたい。

でも、こういうことしていたら目の前の交番警察官の方に止められるのだろうか?などと考えると、あそこの交番人達って楽しそうだななんて思ったりして。

ご飯奢ってもらったらテレビ番組風じゃないけど、素朴な好意を出して自分に出来ることありませんか?なんて聞いて自分で出来ることならやっちゃってみたい。もちろん相手のほうも素朴な奴で感動物語になるようなのじゃないとやらない。

この一日を想像してみる、どうなるだろうか?わからない、不特定多数の人々であることやあまり行なわれない特異な状況下が想定を困難にさせる。どうなるのだろうか?

でもここで一つ考えたことはあまりにすばやく中心部がごった返すため生半可なサンドイッチマンじゃ何やってるのかわからないということだ、これは困った。立て札作戦ならイケルだろうか?

まぁ困る必要も無い、自分には出来ないその勇気がない。馬鹿なことだ、

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