はてなキーワード: ほぼイコールとは
同棲してそろそろ1年半くらい。
んで、その1年半の同棲期間はほぼイコールでセックスレス期間。
はじめの頃は誘うとしぶしぶ、ってな感じで応じてくれてたけど、いくら誘ってもダメ、話し合おうとしても「疲れてるから」「ちょっと今そういう気になれない」とかばっかりでなにも解決に結びつく様な気配なし。
セックスを拒否されるっていうのは「好きな相手ともっと親密になりたい」という気持ちを拒否されてることだってわかってんのかな。
好きだから「セックスをしたい」と思っている自分のこの気持ちに、罪悪感すら覚えるようになってきた。
したいと思う自分が悪いのかと。
「性欲」だけで済む話ならオナニーしたり浮気したりすりゃいいんだろうけど、そうじゃないしさ。
「そろそろ結婚したいね」とか言ってるけどさ、一生こんな状態かもしれないとか思うと、そりゃ躊躇するし踏ん切りもつかないし。
親父と爺さんの背を見て育った俺が思うこと
爺さんは頭はなくてもいいから身体と人間関係を作れといい、親父は人間関係を作れる能力と学歴(知力)をどうにかしろと口うるさく言っていた。最終的に俺は人間関係を円滑に運ぶ能力が欠けて、他は軒並み並程度だから自分でどうにかする場面が多かったから親父と爺さんがいったまんまの世界がほぼ広がっていたわけなんだ。
けど仕事が出来てお金が入ればいいわけでもないし、顔が良くて女とちちくりあえればいいわけでもない。
最終的に実社会に出た後やることによって左右されるステなんてまるで違うから、頭よければいいって話でもない気はする。
気持ちは分かる。リンクしないで下さい、とお願いするのも分かる。だが、リンク禁止、と他人に強制することはできない。雑誌掲載お断りだってあくまで「お願い」だよね。強制じゃない。掲載するかどうか決める権利は結局雑誌の側にある。その店に好意的だったら掲載しないのが普通だろうけど、その店に対する印象が悪かったら晒しageするかもしれない。店主が適当なことをフカしてたら誌上で反論するかもしれない。
電話番号との違いは、サイト運営者側からは、既に受け手に対するコミュニケーションを開いている状態にある事。匿名で怪文書を一方的に送りつけるのは社会的に受容されないよね。リンクを張る人は「見知らぬ他人」ではなく、そのサイトの読者。
というか、web上ではリンクする、というのは言及する、とほぼイコール。何かを言っておいて、聞き手に対してその発言に言及するなってのはちょっと無い話でしょう。
結構世の中、ダメな人で溢れてるんだな
と思う今日この頃。
自分が思う以上に、まともな人はいなかった。
ていうかそもそも、それで当たり前なのであって、俺が多分、世の中に過剰な期待を抱きすぎてたってことなんだろう。
基本的に皆まともだと思っていたがそれは逆でなんつーか
結構皆、DQNなんだ。要するに。
7、8割の人間は、どこかしらDQNの一面を持ってる。一見優しそうでも、実は田舎もんを見下してる奴だったり。一見普通の奴でも、ある時店員にものすごいクレームつけてたり。俺は、そういうDQNな面を全く持っていないのが普通の人間なんだと思っていたが、それは理想的人間に過ぎず、寧ろほとんどの人間はDQNなのだ、ということを10代ギリギリでようやく学べた。
多分今まで俺があまりに鈍感だったか、周りがあまりにいい奴ばかりだったか。なんであれ俺は人間ってそういうもんだと楽観視しすぎていたようだ。
俺のDQN基準は世の中のそれとそう変わらない、ほぼ重なっているとは思うが、細かい部分ではおそらくズレもある。
俺のDQN基準では勿論俺はそれにひっかからないはずだが、そのズレを考慮すれば、俺もある他人にとってその7,8割の人間になるのだろう。
とにかく思った以上に、皆、アホだし、皆、DQNなのだ。この世は。
俺も、多分、そうなのだ。
ええーっ。余計な遠回りじゃなく必要不可欠な論理だよー??ていうかそれは論理的といわない。短絡的という。
議論中キーワードを定義するのは議論の常識。なぜならそこが食い違ったままじゃ話が進まないからね。
定義がフワフワなままで話が通じるわけないやんかー。
だってさっき別人と他人を同じ意味で使ったかと思ったら次では違う意味で使ってたり、ニュアンス以前にこれじゃ話通じないの当たり前でしょ。相手がそこを違うように解釈してるなら、それが自分のと違うと思うなら、話し合いしなきゃ。あっさりそのまま他人の定義引き受けるから、こんがらがるんだよー。相手は当然「自分の定義が受け入れられた」と思って、その定義で話しちゃうでしょ??そこは黙ってちゃわかんないよ。
んーでなぜそう設定する必要があったかと言うと、お前さんの問いには、「他人」と「別人」を分けて答える必要があったから。
まー言葉だし、無理矢理分けて考えなくてもいいけど分けたほうがはるかに分かりやすいからさあ。
他人と別人をほぼイコールとして考えた上での答えなら(この場合「別人」(=他人)の意味は、まったく関係ない人、とかじゃなく、あくまで別の個体、という意味で)「親と子は別人(=他人)だが、決して知り合いや通りすがりAのように無関係なわけではなく、寧ろ環境的にも血縁的にも最も近しいから(産む人もいるんだろー)」ってな感じかな。それを皆は、他人と別人と言う言葉のニュアンスで伝えようと思ったわけ。実際それで分かる増田はいっぱいいたしね。でもお前さんには残念ながら伝わらなかったようだ。そこが悲劇の始まりだね。
それはおかしい。
現代でもやはり、環境に適応している者だけが子孫を残している。
というのも、
>本来なら遺伝子を次世代にひきつぐ機会が与えられなかったような人でも子孫を残すことが出来る。
というのは例えば「非モテが結婚相談所等で結婚できる」とか、「かつてであればコミュニティから阻害され子孫を残すことができなかったであろう障害者も、現代のコミュニティでは子孫を残すことができる」とか「医療技術がなければとても長くは生きられなかった人が生き、子どもを生むことができる」とか、そういうことであろう(「現代の医療技術がなければ排除されてしまっていた遺伝子を人間は保存している。」の意味はよくわからない。追加説明を期待したい)。
筆者は、そのような人々は「本来」子孫を残すことができなかったはずなのに――言い換えれば環境に適応できなかった者たちであるのに――現代では子孫を残している、と言っている。
しかし、そのような人たちは現代のこの環境――医療技術があり、平等思想が広まっており、結婚相談所がある環境――に適応していると言うことができる。
よって、「進化に逆行している」などというのはおかしい。
進化というのは、常に、"その時"の環境に適応することなのだ。
思うに、筆者の誤謬は、「環境」という言葉にあるのではないかと思う。
普段我々が「環境」という言葉を使うとき、もっぱら「環境問題」というような熟語で使用する。
この文脈において、環境は、「自然の緑」だとか「人の手が加わっていない自然」だとかと、ほぼイコールである。
つまり、環境というのは人間の手の加わっていないもの、人間が手を加えるまでは46億年ずっとその姿を変えずに来た不変的なものである、というイメージがあるわけだ。
しかし、進化云々という議論をする場合に用いられる「環境」というのは、そのような固定されたものではなく、状況に応じたものである。
人間が医療技術を発達させたなら、それも含めて「環境」なのである。
「環境=自然」というような意識があるから、「環境=医療や結婚相談所がない状況」と考えてしまい、結果として「逆進化を引き起こす」などと言うようになるわけだ。
そんな状況が起こるのかどうかわからないが、たとえば筆者の議論に従うならば、結婚相談所ができることによって、もしそれがなかったならば顔の進化はイケメンになる方向だったものが、キモ遺伝子も生き残る、ということになる。
筆者はこのような状況を「逆進化」と述べているのだろう。
しかし地下に潜ったモグラが目を退化させたことが紛れもなく進化である(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%80%E5%8C%96を参照せよ)ように、環境に適応することこそが進化なのだ。