ええーっ。余計な遠回りじゃなく必要不可欠な論理だよー??ていうかそれは論理的といわない。短絡的という。
議論中キーワードを定義するのは議論の常識。なぜならそこが食い違ったままじゃ話が進まないからね。
定義がフワフワなままで話が通じるわけないやんかー。
だってさっき別人と他人を同じ意味で使ったかと思ったら次では違う意味で使ってたり、ニュアンス以前にこれじゃ話通じないの当たり前でしょ。相手がそこを違うように解釈してるなら、それが自分のと違うと思うなら、話し合いしなきゃ。あっさりそのまま他人の定義引き受けるから、こんがらがるんだよー。相手は当然「自分の定義が受け入れられた」と思って、その定義で話しちゃうでしょ??そこは黙ってちゃわかんないよ。
んーでなぜそう設定する必要があったかと言うと、お前さんの問いには、「他人」と「別人」を分けて答える必要があったから。
まー言葉だし、無理矢理分けて考えなくてもいいけど分けたほうがはるかに分かりやすいからさあ。
他人と別人をほぼイコールとして考えた上での答えなら(この場合「別人」(=他人)の意味は、まったく関係ない人、とかじゃなく、あくまで別の個体、という意味で)「親と子は別人(=他人)だが、決して知り合いや通りすがりAのように無関係なわけではなく、寧ろ環境的にも血縁的にも最も近しいから(産む人もいるんだろー)」ってな感じかな。それを皆は、他人と別人と言う言葉のニュアンスで伝えようと思ったわけ。実際それで分かる増田はいっぱいいたしね。でもお前さんには残念ながら伝わらなかったようだ。そこが悲劇の始まりだね。