前者は「自分がさえない点数なのは、天与の能力がさえないためではないのです」というアピールだと思っていたのだけど、
そうすると、後者が「自分がもてないのは、天与の顔がさえないためです」ということになる気がする。
後者は「自分がもてないのは、努力が足りないためではないのです」というニュアンスを感じるのだけど、
そうすると、前者が「自分がさえない点数なのは、努力が足りないためです」ということになる気がする。
それぞれ、それを良いとする価値観も悪いとする価値観もあるとは思うのだけど、「勉強してねーわ」と「自分がもてないのは顔のせい」の両方をよく聞くのは不思議な気がする。
ワイが勉強していないと言葉にする時は単なる事実に基づく申告をしている 可能なら時間の無駄なので試験を回避したいなぁという時に使う 勉強していないけど大丈夫そうな時はそ...