なんかそれって微妙な話だね。
バリアフリーを進展させ、障害者でも働ける場所を作っていくってのは福祉国家や社会民主主義的だけど、
それが進んでいくと「働く場があるにも関わらず、働かないで貧しく暮らしているのは自己責任」ってことになると新自由主義的に見える。
北九州の生活保護行政だと手足に麻痺があっても、「働けるのに働かない」からって保護を受けられないケースがあったようだ。
「(障害者が)働く場を十分にある」っていうのを誰がどのようにチェックするかってことが大切ってことかな。
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