特別悲しいエピソードがあるわけではないのに、なぜか泣けてくる
女学校の頃、仙台に父が赴任していた頃、どぶろくでしたたか酔った客が敷居に吐いた吐瀉物が凍ってこびりついているのを母親が凍てつく玄関で始末しているのを見かねて「あたしがするから」と敷居の細かいところに詰まったものを爪楊枝で掘り出し始めた。そこに通りすがった父は感謝の言葉もなく無言で行きすぎた。仙台から東京に帰る時も「じゃあ」と格別のことばもなく別れた。
ところが東京に帰ると、父から手紙があって、終わりのほうに「此の度は格別の御働き」という一行がありそこだけ朱筆で傍線がひかれてあった。
それが父の詫び状であった。
なんでだろうな