「こいつはかわいそうな人間に違いない」。そのレッテルが差別の第一歩なんやで。
「自己肯定」なんて大半は出来損ないの嘘で固めた仮初の安心なんやで 「ちゃんと自己肯定できてる」なんて思わなくても心が揺らがない状態にならんとアカンのや
対話の中で自己肯定感があるかどうかの話になっとるのに まるで自分から自己肯定感があることをアピールしはじめた みたいに言うのは卑怯ちゃう?
「見習え」なんてドヤって見せびらかしとるのを「自己アピールしてない」とは流石に捉えられへんわ、おっちゃんは
自己アピールはしとるよ。 でも自分から自己アピールしたわけとちゃうやん。 自己肯定感が削れてるっちゅう人を見かけて じゃあワイは自己肯定感ばりばりやな思って返信したわけで ...
重ねてになるけども「あなたは自己肯定感がありますか?」と質問されてもいない通りがかりが「私は自己肯定感にあふれています。見習え」と書き込んできたのを「自発的じゃない」...
世の中のみんなが不幸で、幸福に見える人は強がっとるだけやと思いたいんやろなあ。 だからこそ、ちゃんと自分の気持ちを言葉にせんとあかんのやで。
満たされた幸福な人間がこの増田におるはずないやろ
結局ここにイキリにきてる程度じゃ知れてるなあって思いながら眺めてる
刺さった なんで増田してしまうんやろなあ 増田して満たされて幸福ならないのはこれが証明してる 幸せってなんやろなあ どうしたらなれるんやろ
パンティーに満たされた