2020-02-04

anond:20200204112112

ということは、"元来"ノベルゲームでよく使われていた構図は主人公プレイヤーのための演出だということで間違いないよね?

まり、前述の主人公プレイヤ―じゃないよねっていう指摘はおかしいことになりますよね

したがって、そのような構図の宇崎ちゃん(1回目)は鑑賞者に語り掛けていると思われても仕方がない構図と言えますよね

記事への反応 -
  • 感情移入は共感の一種にすぎないぞ。 自己投影は責任転嫁の一種にすぎないぞ。 どちらも自己と主人公を同一視することとは異なるぞ。

    • 言葉の定義で論点をずらそうとするのは止めるんやで? ノベルゲームの主人公=プレイヤーではないという意見やけど じゃあ君はノベルゲームにおいて、主人公の意思決定をプレイヤー...

      • わりとその感覚に近いぞ。 プレイヤーと主人公がまったくの別人であるという意識は厳然として存在するし ロールプレイというにはあまりにも介入の手段が乏しすぎる。 つまりプレイ...

        • 君の言いたいことは分からなくはないけど ことノベルゲームにおいては主人公を移さない構図では、その理屈は難しいのではないかな? 現にEver17ってノベルゲームだと主人公=プレイヤ...

          • そりゃあ個々の作品ではいろいろあるだろう。 90年代は「主人公の個性を薄くして没入させよう」みたいな堀井雄二テーゼが強かったしな。 (それにどれほどの効果があるのかが疑問視...

            • ということは、"元来"ノベルゲームでよく使われていた構図は主人公=プレイヤーのための演出だということで間違いないよね? つまり、前述の主人公はプレイヤ―じゃないよねってい...

              • 宇崎ちゃんポスターが90年代に貼り出されたんならそういう理屈も成り立つかもしれないが、 いまどき「プレイヤーは君自身だ!」みたいなノリはほとんど無いぞ。 90年代にそういう試...

          • Just monika.

        • 俺=神、でOK!!!!?? つまりプレイヤーとしては「運命に介入する神」のような意識になる。

記事への反応(ブックマークコメント)

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