そういうわけで、機能の点からすると、いわゆる「ら抜き言葉」は進歩と見ることができますね。
だって、「(この水は)飲める」「(雰囲気に)飲まれる」の区別はあるのに、
「(このキノコは)食べれる」「(ライオンに)食べられる」の区別が無いのは、何かと不便。
Permalink | 記事への反応(0) | 20:22
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むしろ「受け身」ではなくて「可能」であることが明確になって結構であるというのが多くの言語学系の人たちの正直な心情かと。(あまり口には出さんけどw)
ほんとだ。ら抜き言葉嫌いだったけど、確かにこの場合可能の意味だけを表せていてわかりやすいね。
そういうわけで、機能の点からすると、いわゆる「ら抜き言葉」は進歩と見ることができますね。 だって、「(この水は)飲める」「(雰囲気に)飲まれる」の区別はあるのに、 「(...