2017-01-29

「誰が主体か」を履き違えるとややこしくなる。

保育士の件でもそうだけど、色んな意見を見てるにつれ、

意見の内容として「誰が主体か」を履き違えたような反応というか非難が多く、ややこしくなる原因なのではないかと思った。

女児が」~と思うかもしれない

に対して

普通の親は」そう思うはずはない

批判してるのとか、明らかに主体が違ってるから話が噛み合ってない。

論客体も履き違えたらよろしくない。

「誰が」「誰に」なのかをちゃんと考えることも必要なのではないか

勿論女児と親を履き違えると言うのは極端な例だが、第三者目線当事者目線をごっちゃにしたり、「普通の親」と「何らかの事情がある親」を取り違えたり

そういう意外と気づきにくいところにも罠はある。

  • 現象は1つだけど、関わる人間が多いから、それぞれの視点で自分にとって不都合な点を挙げるのは普通の社会の営みだと思うけど

  • 少なくとも男女論を語るときに男性目線なのか女性目線なのかを勝手に取り違えるのはどうにかしてほしいんだよな…… 「ミサンドリスト」が「女性差別」をしてることになるような文...

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