中国史に出てくる京観ってさー、ざっくりと「敵の屍体を積み上げて作ったモニュメント」みたいな定義はあるけど実態としてはどうなの?
まず死体って人体まるごとを使うの? それとも斬首した首だけなの?
積み上げた屍体に土を被せて築山にするの? それとも屍体をそのまま積み上げるの?
あと、屍体を土壁に塗り込めたケースってあったりするの? 埋めたものだけ?
この辺の定義が人によってバラバラな感じがしてて、生首タワーから屍体が積み上がった小高い丘から
屍体がたっぷり埋まった築山から、果ては屍体を塗り込めた東洋風パルテノン神殿まで
イメージが入り乱れてる感じがすんだよね。
とはいえ、実際には京観にも複数の種類はあるかもしれないんだけど。
戦後処理として現地の成人男性を虐殺した司馬懿の京観と、激戦の後に一度敵の屍体で作っておきながら
のちに壊して敵味方の別なく葬った鄧艾の京観とは多分製法は別物だろうしさ。
そういう疑問についてはまず先行研究の有無を調べて 先行研究があればそれを参照 無ければ自分で史料にあたって一通り「京観」の登場例を網羅してから最大公約数でまとめてね