2011-10-25

祖母の戦中の話

祖母は戦中、茨城日立あたり?にいたらしい(電車工場の近くとか言っていた、後で工場移転にそって引っ越したとか言っていたがそのあたりは俺が理解できなかった)。

軍事工場が近くにあって、空襲の時ほぼ軍事工場のみを波状攻撃で攻撃していたとか。

電車工場?は平和産業から空襲されなかったんだと言っていた。

防空壕もあったらしいが少しほっただけの穴で、到底爆撃は防げないシロモノだったらしい。

そこで隣の家とあわせて、布団を三尺重ね焼夷弾には耐えられるようにしたのだとか。(祖母はそう聞いていたそうだ)

  • うちの祖父がまさしく日立の鉄道関係の技術者だったのだが、鉄道と軍事が密接に絡んでいるのは常識。 祖父は日立に籍を置いたまま満鉄に出向していた。

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