2011-06-27

「でも」というよりは「なら」かな

仮に「例え無実の罪であっても」「罪を認め」「反省し、恭順の態度を示さなければ」「実刑をもって断罪する」という、この司法恣意性を、当然のこととして認めているだけで全部台無し

 

罪と罰は一対一対応されてなきゃダメだろ。

 

社会的制裁」が過剰に成されており、その分を多少「減刑する」というのならば、情状酌量としてある程度分かるが、

私刑」が足りない(効いてない)から、その分を「司法で上乗せ」してくれ…って、それ、法治国家じゃないよ。

 

http://anond.hatelabo.jp/20110624220831

 ↓

http://anond.hatelabo.jp/20110625094538

記事への反応 -
  • この辺りは議論に慎重を要するところではあるが、ホリエモン本人が一連の事件に対して一切反省を見せないことなども加味され、実刑もやむを得ないと結論付けられている。 あ、い...

    • 仮に「例え無実の罪であっても」「罪を認め」「反省し、恭順の態度を示さなければ」「実刑をもって断罪する」という、この司法の恣意性を、当然のこととして認めているだけで全部...

    • ライブドア事件の件に関係無く、裁判官の心証は判決に大きく左右される。 堀江がそういった人間の機微心情を全く理解してないのは知られた話。自分が一番頭がいいと思い込んでる質...

    • その辺うまくまとめるスキルがない俺がゆとってふわふわしてるだけ。 粉飾の刑の相場や、金額の多寡が刑期に比例するべきなのかという話をしないと妥当性は語れないし、いい説明が...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん