弱者の内訳は、子供、病人、老人、十分な収入を得る能力のない人などであると思う。
ところが人間の人生はすべての期間において一定の位置にいるわけではない。
弱者と強者の間を行ったり来たりするのが自然の人間の一生なんだ。
例えばすべての子供を排除すれば子供を扶養する必要がなくなるため、
社会の力は強くなるだろう。世界トップの生産性ぐらいは簡単に達成できる。
だが、10年もすれば次代を担う子供がいないため国は衰えていく。
100年すれば国は滅亡するだろう。
http://twitpic.com/1ncbtk/full
こんなのがあった。三宅議員は自身のツイッターで「甘利さんとはわかっていましたが」と発言した後「私は甘利議員かどうか知りません」と答えていて、コメントがゆれている。でもどっちのコメントだとしても事実と違いおかしい。
http://www.youtube.com/watch?v=7_OcQzSzvhI
この動画を見ると、最初の0秒から2秒の間に甘利議員が横の男性議員を「両手で」押している。その隣にいた三宅議員の視線は、甘利議員が両手で男性議員を押したのを確認した後に床の方に動き、直後三宅議員は右足を踏み込むようにして体を前に傾け、うつぶせに転倒している。
三宅議員は甘利議員が両手で男性議員を押したことを目で追って確認しているわけだから、「甘利さんとはわかっていましたが」「私は甘利議員かどうか知りません」どちらの発言が本意であるにしても嘘をついているということになる。
僕は、「閉塞感」というより、「充足感」を覚える。
僕がいなくても、より優れた人がそこにいる。だから僕は必要とされないのだ。
理論上、僕がいないと困るような事態はないのだ。
これは「閉塞感」なのか?
何をしても変わらないのは事実だ。しかし、何もする必要がない、という発想は持てないか。
すなわち、「ニートは脂肪のようなもので、そいつらは余剰なものであり、労働者より先に僕たちが死ぬことでバッファとなっている」ということだ。
誰しもがニートになりたくはないだろう。
誰しもが自分だけは助かりたいと思うだろう。
しかし、世の中優先順位というのがあるのだ。
必要とされる人が先に死んでは問題が多い。
ならば、必要とされない、努力しても報われなかったような人から死んでいくことで、「充足感」も失せ、飢餓に襲われるだろう。
飢餓は利便を産む。
そのためには、人口、食料、すべての資源を枯渇させ、淘汰の嵐を持ち込む必要があろう。
たとえば、ニートが死ぬことで、労働者の「次は我が身」の意識がより強く働き、生産性が上がるだろう。
そのためなら、私はこのつまらない今から脱却することに躊躇いはない。
理不尽な事を言われているのは俺のような気がするんですが…。
あなたが他の男達と抱き合っていくのを見過ごしつつ、
ここであなたに返事を書いていく毎日をおくれというのでしょうか。
どのようにしたらモラルを向上させることができるだろうか?
私はあなたのことが嫌いです。死んでしまえばいいのに。
私はあなたのことが嫌いです。
私はあなたのことが嫌いです。
こちらの話を聞こうともしないあなたのことが嫌いです。
私はあなたのことが嫌いです。
話もしたくありません。
私はあなたのことが嫌いです。
きっと私があなたのことを嫌いなようにあなたも私のことが嫌いでしょう。
だからこんなに理不尽なことを言うのですよね?
私はあなたのことが嫌いです。
死んでしまえばいいのに。
私はあなたのことが嫌いです。
それほどあなたが嫌いです。
「の」を3つ以上連続して使わない - 悪文と良文から学ぶロジカル・ライティング:selfup
ブクマ抜粋
記事とは逆だが「~における」は「~の」って書けばいいじゃんって言われたのを思い出した。 2010/05/14
2つ連続だって余程のことが無い限り避けますが
~of~ofで繋げるのではなく、SV~SV~で書きましょう、って習わなかった?
個人的な語感では2回使用もあまりよい感じがしないため、なるべく避けるようにしています。それ以外だとできるだけ1文を短めにするように心がけてます
基本だねぇ。
いや2回目で既に頭悪く見えるからなるべく言い直そうよ。
そういう文章が出てきたら、そもそも構成が悪いんじゃないかって考えるべきだよね
「の」3以上でアウト、は小学国語で習ったような
自分的には2つで既に危険信号が灯る。「乙女の愛の夢」とか。ホゲェー
良い文章って、読み間違いしにくい文章のことでしょう。複数の解釈が出来るような書き方はやめましょう、ということ。
会社の公式文書を書くときなんかはこれを特に気をつける。「の」2つですら自分で納得できなくなることもある。
稚拙な印象を与える事が問題なのではなく、意図が明確に伝わらないから「不適切」なのです
確かに「の」が連続してる文章は美しくないよねえ...わたしが日頃書いたりしてるのはどうなのかしら?
こういう社二病は駆逐せねばなるまい。
「の」の連続は使用者の頭が悪く、置き換えることで知的に見え、リテラシーが高いというのだ。
馬鹿げたハナシだ。
偽装は件というよりも偽装請負なのかもしれんが細かい事は知らん
プロジェクト開始当時はC社のプロパーがいたが途中病欠が続いてサヨウナラ
それ以降C社が引っ張ってきた下請けが何人か稼働していた
で、そのまま現在に至る
確か請負か派遣かって、実質的には指揮権を持った人間がその現場にいるかどうかだって聞いたことあるんだけど、違ったのかな?
で週末が来たので、自分はまたC社の営業に対して週報を書いて送らねばならない
IT業界では極々普通にある風景なんだろうけどこれって適法なんだろうか?
自社の某管理職は「請負先の社員かのように指揮下に入る事を依頼されて請け負っているから【請負い】なので問題ない」って言っていたが冗談だよな?
ま、別に契約がどーのとか法律がどーの言っても自分のお給料は1円も上がらないので知ったこっちゃないけどさ
書いても別に何も効果が無い報告書書くのってメンドクサー
もう色々な事が限界に近いかもしれないね。
思えば、ひきこもる事で限界から逃げてたな。
そして、頭のおかしな連中の荒んだ心を癒すために
家の中まで追い詰められて限界に近づいていった。
もうごまかす事でしか生きていけない世の中になっちゃったのかもしれないな。
たたかおうとは思うけど、元気が出ない。
気色悪いって言いたいだけのネクラ気色わるっ
そこで勉強に移るのがえらいな