僕は、「閉塞感」というより、「充足感」を覚える。
僕がいなくても、より優れた人がそこにいる。だから僕は必要とされないのだ。
理論上、僕がいないと困るような事態はないのだ。
これは「閉塞感」なのか?
何をしても変わらないのは事実だ。しかし、何もする必要がない、という発想は持てないか。
すなわち、「ニートは脂肪のようなもので、そいつらは余剰なものであり、労働者より先に僕たちが死ぬことでバッファとなっている」ということだ。
誰しもがニートになりたくはないだろう。
誰しもが自分だけは助かりたいと思うだろう。
しかし、世の中優先順位というのがあるのだ。
必要とされる人が先に死んでは問題が多い。
ならば、必要とされない、努力しても報われなかったような人から死んでいくことで、「充足感」も失せ、飢餓に襲われるだろう。
飢餓は利便を産む。
そのためには、人口、食料、すべての資源を枯渇させ、淘汰の嵐を持ち込む必要があろう。
たとえば、ニートが死ぬことで、労働者の「次は我が身」の意識がより強く働き、生産性が上がるだろう。
そのためなら、私はこのつまらない今から脱却することに躊躇いはない。