2010-05-14

充足感

僕は、「閉塞感」というより、「充足感」を覚える。

僕がいなくても、より優れた人がそこにいる。だから僕は必要とされないのだ。

理論上、僕がいないと困るような事態はないのだ。

これは「閉塞感」なのか?

何をしても変わらないのは事実だ。しかし、何もする必要がない、という発想は持てないか。

すなわち、「ニート脂肪のようなもので、そいつらは余剰なものであり、労働者より先に僕たちが死ぬことでバッファとなっている」ということだ。

誰しもがニートになりたくはないだろう。

誰しもが自分だけは助かりたいと思うだろう。

しかし、世の中優先順位というのがあるのだ。

必要とされる人が先に死んでは問題が多い。

ならば、必要とされない、努力しても報われなかったような人から死んでいくことで、「充足感」も失せ、飢餓に襲われるだろう。

飢餓は利便を産む。

不足な環境に至れば、必ず新たな文化が生まれる。

そのためには、人口、食料、すべての資源を枯渇させ、淘汰の嵐を持ち込む必要があろう。

たとえば、ニートが死ぬことで、労働者の「次は我が身」の意識がより強く働き、生産性が上がるだろう。

そのためなら、私はこのつまらない今から脱却することに躊躇いはない。

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