生きていることに価値などない……などと未熟なニヒリズムをひけらかすように言っている人が多いように思えるのだが
こういった人々はどうも、生に価値がないという主観に基づいた曖昧な論拠を基に、相対的に死が価値を持っていると言いたいかのようである
でも死のうとしない、コレははっきり言って発言が矛盾しているとしか思えない
周りに迷惑がかかるから、とか、死ぬ勇気がないから……とか、様々な理由を付けて死を回避しようとしているが
それは相対的に生というものに価値をおいているということに他ならないのではないだろうか
「周りに迷惑がかかるから……」これは自身の周囲に価値をおいている、あくまで生という範疇に価値をおいた発言だ。
また、「死ぬ際の苦痛が怖い……勇気がない……」こういった発言も、同様である。
生の範疇にある苦痛に価値をおいている、というのは、結局のところ死ぬより生きている方がマシだ、と言っているのと同じである。この場合も、より生に価値をおいているとしか言いようがない。
ジョジョじゃないが、やりたいと思っているということは既に実行しているということなんじゃないのか
とっとと死ねとは言わないが、彼らにはせめてその辺りの矛盾をちゃんと把握してほしいと思う
どこをどう読んでも「とっとと死ね」以外の何物でもない意見だろう。何自己弁護してんの。 心配しなくても理性的判断による絶望が本能的な死の恐怖に勝れば彼らは勝手に死ぬさ。 別...
主観に基づいた曖昧な論拠を基に、 こういった人々はどうも、生に価値がないという主観に基づいた曖昧な論拠を基に、相対的に死が価値を持っていると言いたいかのようである と言...