元増田はmixiアプリのひどさ強調したくてfacebookよく見すぎ
俺の感覚だと 友人>>>(越えちゃいけない壁)>>>奴隷>>(人間の壁)>>ペット>>>家畜 くらい。
まあ扱われてる方が満足してるなら奴隷でも家畜でもよいし(マゾとかいるし)
嫌ならペットでもダメだろ
ほとんど頭の中だけで考えた推論だけども、
自身を持っていえることが一つ。
「みんなが知っているイイ女の夫は結婚後こそモテる」
ということ。有名女優のような。
宮崎あおいの夫や藤原紀香の(元)夫、酒井法子の夫だって。。。
その夫自身の男性的魅力は、あんまり関係ない。
なぜか??
答えは簡単、女性にとって、その夫を落とせば、
その「イイ女」に、女として勝った優越感まで、もれなくついてくるからだ。
これは、女性にとって強烈な誘惑だろう。
そして、自分がイイ女だと知っていて、そのことに(表に出さなくても)誇りに思っているような、
プライドの高い、美しい女にとっては。
周りの女に聞いたところで「そう思う」とは、なかなか答えないだろうから、
実際に聞いてもあまり意味ないだろう。
でも、きっとこの推論は正しい。
以上、モテない男の妄想でした。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090822/1250974185
http://d.hatena.ne.jp/Marnier/20090823/p1
http://d.hatena.ne.jp/Marnier/20090824/p1
有村はペダンティックになってもちっとも面白くない。
つかアンタ、オタとしては二流、三流なんで・・・正直宅八郎のエセオタレベル。オタの基礎教養を得々と語られてもね・・・
文芸誌読者の素人相手ならともかく、ネットはもっと濃いのがデフォなんで、聞くまでもない話ばっかなんだわ。
たかが11年前が昔話だと?俺等が何十年オタやってると思ってんだw
双葉の二次板にでも行ってみ?(二次裏じゃないぞ)いやマジで。
2chなんてヌルいとこに居るから自分がエリートオタだと勘違いしちまうんだよ。
ガキのヌルオタ話聞いてもしょうがないんだよな。実際。
この程度で澁澤龍彦を気取るとは片腹痛いわ。
で、アンタの取るべき立ち位置だが・・・
そうね。クリエイターとしてやってけるほどの才能はないし、
(少なくとも、表現に対して正面からブチ当たらない今のままなら、な。)
どっかのマンガの編集部に潜り込んでフツーの編集屋になるか、
なんもかんも捨てて地元の学習塾の講師でもやったほうがいいと思うよ。いやマジで。
どのみちくだらねーはてサごっこはいいかげんやめたほうがいいとは思うけど。あえて馬鹿晒す意味あんのかね?
はてサなんて、ネットのすみっこのカビみたいな、脳のネジの外れた連中にウケたらなんかいいことあんの?
メンヘルがどーこーってのも正直、ちっとも面白くない。
このままいくとカマヤンの劣化版みたいになるぞw
それはそうと、アンタうまいね。いろいろとw>id:Marnier
追記:
今読んだ。ぎゃっはっはw
議論になってないです。テーマ設定が曖昧です。
無理矢理推測して整理すると 3つでしょうか。
1,何故、子供を産むのか。
2,何故、Hをするのか。
3,付き合う・結婚することで、デメリットが生じるのに、何故そういう行動を取るのか
どなたかも言ってましたが、
1 か 0 しか存在しないという思考を取り除けば、上記3つすんなり納得できると思います。
全てに、デメリット・コスト・代償は存在します。しかし同時に、全てにメリット・対価は存在します。
その-と、+を考えて、+がまさったので行動したということでしょう。
付き合うを例にとります。コスト(”例えば”時間)を使いますが、付き合うことで、効用(”例えば”精神的幸福?)を感じるとした場合
それで、幸せが優ってるから、まぁ付き合おうと行動するわけです。ちなみに、コストや効用の、項目も評価も人により様々です。
これはかなりの推測ですが、以下の問が、本当に聞きたいことではないでしょうか。
☆ コストがなく、かつ、常にお互い惹かれ合うような愛でなければ、子供を産むべきではない・付き合うべきではない。
そのように周りに質問すれば、あなたの話したい内容にそった話を、周りもしてくれるでしょう。
どういう意味の「好き」だったのかkwsk
お前、それ魂胆違うよな?適当こいて俺から作品名や作家名を言わせたいだけだろ?例えば今ここで俺がミーハー色全開で「GANTZは素晴らしい」「板垣恵介は中毒になる」「海野螢には注目してる」とか適当こけば、おめー、いくらでもツッコミどころをほじくって、m9(^Д^)プギャーなレスを書くことに全力を注ぐだろ?
これって、君自身が言ってた
いっぱいくわされたくないがための「釣り認定」
そのものじゃん。
てか自分の作品に本当に自信があれば、m9(^Д^)プギャーなレスされたってなんにも応えないよね。
低能サルどもには言いたいこと言わせとけって感じで。
必死で釣り認定してまで匿名でいたいってのは、要するに、「さすが手塚批判するだけある」って増田どもに思わせるようなクオリティの作品を実際には自分は作れてないってことを、心の底では自覚しちゃってるってことだよね?
てかこのトラバも釣り認定されるんだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20090822232435
お前、さては共産主義者だな(w。
冗談はさておき、おっさんの要求は正当なものだよ。
逆に貴方が受動的過ぎて心配。
いや、自分もこのヘルプでは何も分らなかった。
「はてなダイアリー」のヘルプを読んでは、確認し、登録してみてはリンクミスとか。
他人の迷惑も顧みずにやっていたよ。ごめんねぇ~。
このヘルプで使えるってみんな情強だとしみじみ思う
自民党が、自分たち自身の支持母体をどう見ているか、よく現われていると思う。
●暇つぶしや気晴らしに出来ることは「自分が比較的苦に思うことなく出来ること」や「何時間でも出来ること」であって、それが仕事に結びつくと、オフの時間も遊んでいるのか仕事しているのか分からない状態になる。結局無茶苦茶な勢いで技術力や生産性が上がっていくという好循環を生みつつも、本人はそれが労働だとは思っていなくて、ただ自分の大好きな玩具をひたすらいじり続けている状態でしかない。
http://d.hatena.ne.jp/si-no/20090823/1251020194
とのことであるが、
今日「ジブリレイアウト展」で作品解説ヘッドホンを借りて聞いていたのだが、「紅の豚」の話で原画家の人が言ってた話では、かの宮崎駿も、打ち合わせをしている時も、常に手は飛行機や戦車の落書きをしているそうである。話は聞いているが、手は絵を描いているとか。
で、もう一つ思い出したのがイラストレーターの寺田克也氏に漫画家のみそがインタビューした時の話。寺田氏は、仕事のイラストを描くのに疲れると、気分転換に自分のイラストを描き、ほとんど一日中絵を描いているそうである。
あと、海洋堂の誰かの話で、朝から晩まで模型を作り、家に帰ると楽しみとして自分用の模型を作る、という話もあった。
んで、
●伝説的なプログラマーのビル・ジョイのような人や、ビル・ゲイツや、ビートルズのようなバンドの成功も、「10000時間の努力」と、いくつかのタイミングが支配しているのだそうです。
http://lifehacking.jp/2008/11/the-law-of-10000-hours/
の話を組み合わせると、
要するに、自分の楽しみでやってる人は、細かい空き時間を使って自分のスキルを勝手に高めていくので、10000時間に達するのが早いのではないか、と思う。
つまり、自分が一日中でもずーっとやってられる事で、仕事になるものがあれば、それを仕事にするのがいちばん効率的だということか。
同意。
これは文学の先人にも言えることだが、古いってことは価値観等が現代に則してないということであり、必然的に読者に訴えかける力も弱くなっている。時間の流れとともに作品が劣化していくのは不可避である。いくら、愛や恋が普遍、永遠のテーマだと言っても、それを表現する方法は変化する。
そいやシャアもガルマも二世だな。
日本の場合、演説トレーナーがいなさげ。
こればっかはアメリカから引っ張ってこれるものじゃない。
エドはるみみたいなマナーの先生は山ほどいるのに……
本当は、昨日じゃないんだ。
あなたが好きだと思ったのは。
3年前の秋に旅行に行ったとき、
今まで感じたことのない感情が生まれた。
ああ、わたし、この人のことが好きなんだなあ、って。
わたしは、素直にあなたに携帯メールを送った。
あなたのことが好きだ、って。
そしたらあなたは、「わたしも好きだ」と返事をくれた。
すごくうれしかった。でも、そのときから、私の苦しみは始まった。
「あなたの“好き”は、わたしの“好き”と同じ種類のものなの?」
3年間、わたしはずっとあなたに問い続けてた。
直接この言葉を言ってたわけじゃなく、いろいろな方法で。
傷つけた。振り回した。いっぱい泣かせた。
そしてついに、最後の手段を使った。
あなたに、わたしの“好き”の意味を伝えてしまった。
もう、限界だった。思いを抱えているのが本当に辛かった。
答えはすぐに分かった。
あなたの“好き”は、わたしの“好き”と、同じではなかった。
わたしと目を合わさなくなったあなたを見て、
もう、会ってはいけないと思った。
3年間、わたしの“好き”という気持ちだけで
あなたの人生を振り回し続けてしまったことは、
本当に申し訳ないと思う。
わたしとは違う種類の“好き”という気持ちで、
人生をわたしに預けてくれたこと、本当に感謝してる。
でも、これでおしまい。
終わりにしなければ、お互いに不幸になってしまうから。
これからもう一度振り回すことになってしまうけど、
これで最後だから。
いままで、とてもたくさんの愛情を、ありがとう。
確かに「訴求力(笑)」はあるかも。2chでミンス党とか書いてる層に対しては。
メディア政策:新政権に望む 「表現・報道の自由」規制、デジタル社会、そして…
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090824ddm012040004000c.html
インターネットの普及によって、読者離れと広告離れが深刻化し、いまのままでは日本の少なくない新聞が廃刊や経営規模の縮小を迫られるのは必至だ。不動産収入や映画製作への参加など本業以外をみても、新聞を支えてきた購読料と広告料に代わる収入源は見つからない。
米国ではより深刻で、1紙しか残らない地域も増えているようだ。インターネットは、オピニオンを飛躍的に発展させたが、その基礎となる「事実」は、自分の仕事や趣味の情報にとどまるというパーソナルメディアとしての限界がある。一方、新聞ジャーナリズムは、公器として権力の監視や社会正義の追求をはじめ公共的な情報をいち早く豊富に安価で提供してきた。恒常的で組織的な取材、調査・分析力。そして、特定の利害に左右されない道義性の高さを肩代わりできる媒体は、当面ほかに見当たらない。
廃刊相次ぐ米国では公権力を監視する力が弱まりかねないという声が広がっている。連邦議会では、新聞の再編を容易にするための独占禁止法の緩和やNPO化による税制上の優遇措置などが論議され始めた。欧州では新聞の公共意識が強い。言論の独占を避け、多様性を重視する観点から、スウェーデンでは弱小新聞への助成策があり、仏では税制上の優遇に加え新成人への新聞の1年間の無料配布も打ち出した。
民主主義社会ではジャーナリズムが不可欠だ。日本では社会文化政策として新聞ジャーナリズムの公的な支援論議はほとんどされてこなかったが、いまこそ始める時ではないか。再販制度や特殊指定制度は、新聞事業を維持するために、その意義が一層強まった。
欧米の政策を参考にした税制上の優遇や、教育文化政策の一環として、ジャーナリズムの社会的な重要性を学ぶためのカリキュラムを強化したり、義務教育が修了する15歳を機に新聞の1年間無料配布を検討してもいい。年500億円で足りよう。
新政権をはじめ各党は、社会政策としてメディアのあり方を考える担当を設けたらどうか。新聞界も、経営合理化の徹底や紙資源の保護を含む販売面の刷新、調査報道の充実、取材報道倫理の向上など、新聞が民主主義社会に不可欠な存在であることを証明する努力がもっと必要だ。
まだまだ言動に余裕が感じられるあたり、もう少し締め上げられた方がいいんじゃねーの?
ネカマをしてると3,40代の未婚の男たちが食いついてくる。自分はこうはなりたくないものだ(苦笑)
ただ、がっつりメッセージ送ってきたくせに会話がつまらない。
発展させようとしない。
しかも、興味ない自分の話をしてくる…
たぶん、恋人がほしいだけでその相手には興味がないんだと思う。
それじゃ、恋人できないと思うなー…
ということで、自分もちゃんと相手に興味を持とうと思った。
供託金没収点の事まで考えてあえて落ちそうな小選挙区候補者に入れるなら、それはそれで十分戦略的投票と言えると思うよ。
そう思って投票するのをやめるから本当に死票になる。
逆にみんなが入れれば当選するから死票じゃなくなる。
さすがにそれを言い出すとほとんどトートロジー的問答になってしまう。
現実には嫌でもある程度の情勢の予測はついてしまうからね。
ただしこのあたりの話は選挙制度によって大きく変わるから…衆院選は比例もブロックになってるし死に票が出やすい選挙ではあるからね。
ありがとう。共通の知り合いに相談してみます。
「きっちりした人みたいなので、私にいらいらすることもあるんだろう」
と思えば、ちょっとは気持ちも落ち着くかも。
http://anond.hatelabo.jp/20080913153317
http://anond.hatelabo.jp/20081201015818
http://anond.hatelabo.jp/20081226042010
http://anond.hatelabo.jp/20090116005647
の続き。
と言ってももうだいぶ前に書いたもので読む人もいないと思うけれど、この件については自分の感情を整理するのに増田がいちばん書きやすくなってしまっているのでここに書く。
スキーに行った後は仕事が急に忙しくなってしまい、プライベートになかなか気が回らなかった。
いつの間にか、妻夫木のことを考える時間も少なくなっていた。
でも、それでいいんだろうな、と思ったりもした。
遠いところに住んでいる人だし、そもそも、わたしの手の届く人ではないような気がしていた。
妻夫木のお母さんがそうであったように、きっと家庭的で子ども好きで教育熱心な、地元の良家のお嬢さまをお嫁さんにもらうんだろうな、というようなことをぼんやりと想像していた。
妻夫木との縁は何らかの形で保てたらうれしいけれど、恋はあきらめるほかないだろう、というのがわたしのなかでの結論だった。
時間をかけてゆっくりとあきらめていくと、意外とダメージも少なくてすむんだな、とか思った。
こうして自分の中でフェードアウトさせていくのが、いちばん建設的な解決策のように思えていた。
そんなことすらももうほとんど考えなくなっていたころに突然、知り合いの男性から求婚された。
学生時代に老健施設でボランティアをやっていたのだけど、その斡旋をしてくれていた社会福祉協議会の人だった。
ボランティアを辞めた後もいろいろな相談に乗ってくれて本当にやさしい人だと思っていたのだけれど、もちろん男女の関係ではなく、口説かれたこともなく、思わせぶりだったところもなく、わたしにとっては本当に、よき友人の一人だった。
結論から言うとお断りしたのだけど、結婚話を持ちかけられてから考えをまとめている最中、思い出すのが妻夫木のことだった。
妻夫木がわたしのことをどう思っているかはさておき、このことをきっかけに、わたしはやっぱりあいつのことが好きなんだと自覚せざるを得なくなってしまったのだ。
求婚をお断りして5日経った夜、久しぶりに夢を見た。
わたしも妻夫木も小学生で、ふたりで何やら小栗っちに隠れて悪だくみをしている。
花火を使ったいたずらを仕組んでいるようだった。
かなり危ないもののように見えるが、まあ夢だからいいんだろう。
もう少しで成功、というところで小栗っちに見つかりそうになる。
妻夫木は、わたしの手を引いて逃げ出した。
妻夫木の手はとてもあたたかかった。
そうして体育館の倉庫に逃げ込み、内側からかぎを閉め、ふたりでマットの中にもぐりこんで隠れた。
からだが密着しているのがこそばゆくて、わたしたちはくすくすと笑いあった。
制服の半ズボンから見えている妻夫木の膝こぞうと、わたしのスカートが触れ合った。
でも小学生だもの。
ただこそばゆくて、少し恥ずかしいだけ。
ブクマとかで「いけそう、いっちゃえ」みたいなメッセージを読んでその気になりかけていた時期もあったけれど、妻夫木の実像をある程度知っているわたしだから言える。
無理なんだ。
さすがにこのくらいの年になれば、いけそうかそうでないか、ぐらいは直感でだいたいわかる。
妻夫木は、わたしのことを、そういうふうな目で見てはいない。
たぶんそれが現実だ。
その現実を受け容れるのに、たぶんもうそんなにエネルギーはいらない。
でも、はっきりさせるべきなのかどうなのか、それだけを思い悩んでいる。
はっきりさせたら、きっと縁が途切れてしまう。
そんなのいやだ。
過去の思い出にすがるなんて、いちばんかっこ悪くてしたくないことだったはずなのに、今のわたしはそれをしている。
20年近くも前のことを繰り返し、繰り返し思い出しては、その中に浸っている。
何してるんだろう。わたし。