なぜ成長したい人ほど成長できないのか -成長のジレンマ-
さらに自分の成長を望む人間は得てして競争を好みます。なぜなら、いかに成長するチャンスを得るか、が目的になってしまうからです。
しかし、相手の貢献を望む人間は競争を好みません。なぜなら、競争をせずとも貢献はいくらでもできるからです。目的が「奪う」ではなく「与える」ということなのです。
さらに、競争心がモチベーションとなって行動する人は、それ以外の人、たとえば克己心などをモチベーションにする人に比べ、いい結果が残せないという研究結果があります。
たとえば七歳から十一歳の女の子を集めてふたつのグループに分け、それぞれにコラージュを作ってもらいます。一方のグループにはこれは競争であると言い、もう一方のグループには何も告げず自由に作らせました。そしてできあがった作品を、プロの芸術家たちに評価してもらいます。 その結果、競争した子どもたちの作品のほうが単純で、自由な発想に欠け、「条件を与えられなかったグループよりも、驚くほど創造性が低い」ことがわかったというのです。
競争はまた、仕事の質も低下させます。テキサス大学のロバート・ヘルムライク教授は、自然科学の分野で博士号を持つ人百人以上の著作を調べました。その結果、専門分野への興味や自分で決めた目標を重んじる研究者のほうが、競争を重んじる研究者よりも、質の高い仕事が多いということがわかったという。
ヘルムライクによると、航空機のパイロット、予約代行業などそのほか九つの職業でも、同じパターンが見られたとのことです。
良い仕事が出来なければ、次に良い仕事は与えられない。これも成長のジレンマです。
話を就職活動に戻しましょう。
面接やエントリーシートを見ていてよく出てくる発言が以下の内容です。
「御社ならキャリアを詰めると思ったからです。」
「御社であれば裁量権があり、すぐに成長できると思ったからです。」
「御社でならMBAが取れると思ったからです。」
改めて言います。こういったニュアンスの発言や質問の類はNGである。
採用担当官は間違いなく、貢献の意識を理解できていない人より理解できる人を採用します。いかに向上心や成長意欲が強く成長した結果その会社に貢献できるとしてもである。
ある程度優秀な人材であれば、そもそも向上心や成長意欲があって当たり前だと我々は考えています。中には優秀さに甘えている人もいますが。
よって、自己の成長意欲をアピールしている人はただのエゴイストにしか見えません。「自分が成長した結果、貢献する」であっても、そもそも自分の成長が目的になっている人は、結局エゴイストとみなされます。結果、成長もできなければ、チームワークも乱すとみなされても仕方が無いのです。これでは、採用したくてもできません。
本来あるべき姿は、チームでビジネスをする以上、自己の成長意欲といった利己主義ではなく、企業への貢献といった利他主義をアピールしなければならないということです。
よって面接やエントリーシートで書くべき事は以下のようになります。
「私の力を使って、御社のメンバーの成長に貢献したいと思ったからです。」
「私の今までの経験で、御社の利益創造に貢献したいからです。」
「より一層学習し、これから入ってくる社員へのナレッジを蓄積します。」
といったことが、企業が求めていることです。これを表面上で共感するのではなく、理解し、実践できるようになることが重要なのです。
最後に
社会人になって学生の頃よりもお会いする社会人の方が絶対的に増えたことも原因かもしれませんが、真のプロフェッショナルなビジネスパーソンと呼ばれる人とお会いするようになりました。そこで気付いたこと、それは真なるビジネスパーソンは、自分の成長に着目はしていませんでした。他者への貢献に着目し、結果成長していたのです。
成長が目的となる人には、周りが成長の機会を与えない可能性があります。そして、成長の機会を自ら逃すことになります。「成長したいのに成長できない」これが『成長のジレンマ』なのです。
なんで人事の人間ってこう独善的で根拠薄弱なことをさも当然のように語る詐欺師みたいな連中が多いんだろう…。